英雄モーセ
前回は、ヤコブ一家がエジプトに移住し、みんなが祝福されて暮らしたところまでをお話しました。今回は、ヤコブの子孫イスラエル人が、エジプトで増え広がっていき、そのイスラエル民族の中から、英雄モーセが誕生するお話です。

モーセについて、聖書は知らなくても、神の十戒、紅海を二つに割って脱出したなどのエピソードは、ほとんどの人がご存知かと思います。モーセを通して、神が私たちに望んでいることを知り、神に従い、祝福を受ける方法を学んでいきたいと思います。
今日のおともは、バスクチーズケーキです。神を信じていると、必ず美味しいものに恵まれます。感謝しながら、聖書を分かち合いたいと思います。
増えるイスラエルの人々
飢饉に苦しんでいたヤコブ一家は、エジプトで食糧を管理する大臣となった愛息子ヨセフの計らいで、一家そろってエジプトに移り住みます。ヨセフはエジプトの人々を飢饉から助け大活躍をしていたので、エジプトの王をはじめ国民から、とても感謝され信頼されていました。そのため、一家70名は異国の地でも、とても恵まれた生活をしていました。ヤコブの子孫はイスラエル民族として、神の祝福を受けて、おびただしく増え、強くなってエジプト中に溢れました。

時が流れ、父ヤコブ、息子ヨセフとその息子たちも生涯を終え、大臣ヨセフの業績をたたえていたエジプトの王や役人たちも変わり、新しい王や人々が国を支配するようになります。ヨセフのことを知らない王や人々は、強く増え広がったイスラエルの人々を脅威としてみるようになります。イスラエル民が、敵国と同盟を結び、エジプトを乗っ取るかもしれないと考えたのです。
そこでエジプト人は、イスラエルの人々を奴隷にし、強制労働の重圧で逆らえないようにします。イスラエル人は他の部族と違い、特別に神に祝福されているため、苦しめられても苦しめられても、強く増え広がったとあります。

彼らを恐れたエジプトの王は、ますます労働を重くし、町の建設、れんが造り、農作業などの仕事に就かせ、どれも彼らの生活を脅かすほどの、過酷な労働のもとに置きます。ついに王は助産師たちに、イスラエル人に男の子が生まれたら殺すように勅令を出します。女の子はエジプト人の妻にできるかもしれないと、生かしておきます。
ところが、イスラエル民族の神を信じる助産師たちは、生まれてきた男の子の命を守ります。助産師たちは王に、イスラエル人の妊婦は強くて、お産に立ち会う前に子供が生まれてしまうと言って、誤魔化します。こうして生まれてくる子供の命は守られ、イスラエルの人々はますます増えていきます。神は、この助産師たちの神を敬う行為を認めて、子宝という恵みを与えたと書かれています。

どんなときも、神が望んでいることを優先することは、祝福につながります。聖書には、「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。」と書かれています。自分に必要なものや、欲しいものを願う時、まず神が望んでいることを行うと、全ての物が神から与えられるという意味です。日ごろから神が望んでいることは何かを知り、神の喜ばれることを選び取ると、祝福されるのですね。
命が守られる
イスラエルの人々が強く増えていく様子に不安を感じたエジプトの王は、次の対策を考えます。生まれてきたイスラエル人の男の子は、すべてナイル川に放り込めと国民に命令します。
そのころ、あるイスラエル人の夫婦から男の子が生まれます。その子が可愛くてしかたのない両親は、ナイル川に投げることはできずに、3か月間、隠していました。ですが、だんだん隠し通すことができなくなったために、防水加工を施したかごにその男の子を入れて、ナイル川のほとりの茂みの中に隠します。運よく助かることを願っていたのでしょう。

その男の子には姉の少女がいました。姉の少女は、生まれたばかりの弟のことが心配で、少し離れたところで様子を見ていました。
その時、エジプトの王女が付き添いの女性たちと共に、水浴びに川にやってきます。王女は籠の中でないている男の子を見つけると、川に投げ込まれるイスラエル人の男の子なのだと判り、ふびんになります。
それを見ていた、男の子の姉の少女は、王女のもとに行き、この子のためにイスラエル人の乳母を呼んできましょう、と申し出ます。少女は、二人の実の母を乳母として連れてきて紹介します。王女は、この母親に、この子が大きくなるまで母乳を与えて育てるようにと、費用と一緒に渡します。
そして、この男の子は大きくなると、王女のもとに養子として迎え入れられます。王女はこの男の子をモーセと名付け、王子としてエジプトの宮殿で育てます。モーセはこの後、イスラエル人をエジプから救い出し、神の与えた約束の豊かな土地に導く偉大なリーダーになります。神がモーセにたてた計画のために、モーセの命は守られ、エジプトで王子として最高の教育を受けることになります。
エジプトから逃げる
大人になるとモーセは、奴隷として労働に苦しんでいる、同民族のイスラエルの人々を目にします。イスラエル人がエジプト人に打たれているのを見ると、正義感と同民族への愛の強いモーセは、人目を避けて、そのエジプト人を殺して砂に埋めて隠します。
また翌日モーセは、イスラエル人同士がもめているところを見て、仲裁に入ります。モーセが悪い方をたしなめると、「裁判官でもないのに口を出すな。昨日のエジプト人のように、私も殺すつもりか。」と歯向かわれてしまいます。モーセは、エジプト人を殺したことがばれたのだと思い、恐れます。また、この出来事がエジプトの王の耳に入り、モーセは王に命を狙われます。エジプトに居られなくなったモーセは街を出て、ミディアンという人里離れた荒れ地に身を隠します。

モーセが井戸の傍らに腰を下ろすと、その土地の宗教リーダーの娘たちがやってきて、連れている羊たちに水を飲ませようとします。ところが、他の男性の羊飼い達がやってきて割り込み、彼女たちを追い払います。
正義感の強いモーセは黙っていられなくなり、彼女たちを助けてやり、羊の群れに水を飲ませてやります。井戸の順番に割り込まれるのは日常的にあったようで、モーセに助けられていつもより早く家に帰った娘たちは、父親から何があったのかを聞かれたので、モーセに助けられたことを話します。父親はモーセに感謝し、モーセを呼び食事に招きます。

モーセと彼らは気が合ったようで、この家族のもとにとどまり、娘の1人チッポラと結婚します。モーセは子宝にも恵まれます。モーセが彼らと生活を続けているうち、長い年月が流れ、モーセの命を狙っていた王も亡くなります。
王がなくなっても、エジプト人のイスラエル人に対する虐げは続き、イスラエル人の苦しみの叫びは天の神に届きました。神は彼らの嘆きを聞き、アブラハムから続く祝福の契約のために、イスラエル人を助け出すために動き出します。
神から使命を受ける
モーセは、義父イテロの羊の群れを飼っていました。羊たちの牧草を求めて荒れ地に行くと、柴の中に燃えている炎があります。乾燥した荒野では、枯れ木や草が自然発火することがあったようです。燃え移る物がなくなると、自然に沈下するのですが、モーセの見た炎は普段見かける物とは違い、なかなか燃え尽きていきません。不思議に思ったモーセは様子を見に近づきます。

神は、このモーセをご覧になり、燃える柴の中から声を掛けます。神は、燃える柴を使って、好奇心旺盛で、荒野の現象に詳しいモーセの気を引き、近づかせていました。そして神は、モーセに使命を与えます。神はモーセに、エジプトに行き、奴隷として苦しんでいるイスラエル人を連れ出し、先祖アブラハムに約束した、肥沃で豊作の土地に導くようにと語ります。
ですがモーセは、神の言われる使命に応じる事ができません。モーセはエジプトでは殺人犯ですし、同じ民族であるイスラエル人からも、仲間として見られていません。虐げられているイスラエル人の仕返しをしても、仲間割れをしているイスラエル人の仲裁に入っても、報われず逃亡する羽目になっています。モーセは、エジプト行けば殺人犯として捕まりますし、ましてモーセを受け入れないイスラエル人を連れ出すなんて、到底無理だと思っています。

ですが神は、モーセをイスラエル民族を救い出すリーダーに選び、モーセが拒んでも変えることはありませんでした。神はモーセに、神が必ずそばで助けるから大丈夫だと説得します。その証拠として、モーセとイスラエル民族がエジプトから脱出したら、モーセと民族たちはこの山で神に礼拝すると予告します。生きてエジプトを脱出できることを約束しています。
モーセのエジプトでの挫折感は大きかったようで、モーセは神の説得にもなかなか応じません。モーセは神に、イスラエル人はモーセを受け入れずに、きっと、「誰に言われてきたのか。」と、問い詰められるだけだと言います。それに対して神は、「イスラエルの先祖アブラハム、イサク、ヤコブの神。」に遣わされたと言いなさいと返します。
神はモーセに、イスラエル民族はモーセに従ってついてくる、またエジプトの王は厄介で何度も邪魔をするが、最後は神の力で守られ脱出できると、約束されます。

それでもモーセは断り続けます。神は今度は、モーセが持っている羊飼いの杖を蛇に変えてはもとに戻す、モーセの手を不治の皮膚病にしてはもとに戻すなどの、神の奇跡を体験させます。人間にはできない奇跡を通して、神の力の威力を見たモーセですが、それでも不安はなくならず、自分には力不足だと断ろうとします。口下手なのでイスラエルの仲間だけでなく、エジプトの王を説得するのは無理だと訴えます。神は、必要な力は神が与えると説得するのですが、モーセはそれでも納得しません。
ここまでくると神も怒ったと書かれています。神はモーセに、雄弁であるモーセの兄アロンを同行させることにします。モーセが上手く説明できない時は、代わって兄アロンが民を説得するのです。
だれよりも謙遜
ようやくモーセは神の指示に従い、エジプトに向かうことにします。以前のモーセは、勢いがあり、正義感が強い人物の印象がありますが、この時のモーセは、同じ人物とは思えないほど弱気になっています。エジプトで王子として恵まれた生活していた時のモーセは、若いこともあり、怖いもの知らずで自信にあふれ、自分の正義感を信じて疑わなかったのでしょう。仲間のイスラエル人が苦しんでいるなら仕返しする、仲間割れをしているイスラエル人同士を仲裁する、自分の行いが正しい事だと思っていたかもしれません。
モーセは犯罪者としてエジプトを追われ、イスラエル人の中にも居場所がなく、仕方なく人里離れた荒れた地で40年生活することになりました。挫折を味わい、派手な王宮から地味な生活に変わったことで、モーセから傲慢な心がなくなり、謙虚な人格が造られていったようです。この少し後に、「モーセという人はこの地上のだれにもまさって謙遜であった。」と書かれています。神は、謙遜で神に忠実に従う者を、神の働きのために選ばれます。

聖書を通して、神は謙遜で柔和でありなさいと教えています。自分の力を過信する傲慢な態度を、神は強く戒めています。神は、モーセが謙虚になり、神の使命にふさわしい人格になるまで、荒野で訓練されました。神とのやり取りを読むと、謙遜すぎるようにも感じますが、この時が神にふさわしいときだったようです。
祝福のしるし割礼
モーセが義父イテロに、エジプトに行くための許可を取ると、神はモーセに、「さあ、エジプトに帰るがよい、あなたの命をねらっていた者は皆、死んでしまった。」と、ほっとさせてくれるような言葉をかけてくれます。
ここでちょっと不思議なことが起こります。神はモーセに使命を与えて、エジプトに向かわせたその直後に、モーセを殺そうとします。これはモーセが、自分の息子に割礼を施していなかったからです。割礼とは、男性の包皮を切り取ることで、神がアブラハムに約束された祝福を受け取るために必要な儀式でした。
これからイスラエル民族のリーダーとなって、神の祝福を受け継いでいくためには、モーセ一家の男子はみな割礼を受ける必要がありました。神がモーセに手を下そうとしたとき、妻のチッポラが神の意向に気が付き、息子に割礼を施します。こうしてモーセは一命をとりとめ、一家は神の使命にふさわしい者とされます。

男性が割礼を受けていると、垢や汚れが溜まりにくくなり、パートナーの女性と共に、性器の感染症にかかりにくいとされているそうです。神がイスラエル民族の子孫をおびただしく増やし、健やかに成長するためにも、必要な儀式であったようです。
また聖書には、「心の包皮を切り捨てなさい。」と書かれています。これは「心の割礼」ということです。イエスキリストを受け入れない頑なな心の皮を切り裂いて、自分の心の汚れや罪を取り除くのです。固い皮を取り除いて心を柔らかくし、謙遜になって自分の罪を認め、罪の身代わりになったイエスキリストを信じる者が、祝福を受け継いでいくのです。
イスラエルの民が肉体の割礼によって祝福を受け継ぐものとされたように、私たちも神の祝福を受けるために、心の割礼を受けなければなりません。
祝福の源
神の祝福にふさわしくされたモーセは、妻と子供たちを連れてエジプトに向かいます。すると神は、モーセの兄アロンにモーセのもとに行くようにと命じます。兄アロンは神に従い出かけると、モーセ一家と出会います。モーセが神から与えられた使命を説明すると、兄アロンは理解し、神に従い、口下手なモーセを助けるために同行します。神は約束通り、必要な人、物、力を与えてくださる方です。
一行がエジプトにたどり着くと、奴隷となって苦しんでいるイスラエル人のリーダーである年長者たちを集めて、神が彼らを助け出すために動き出されたことを伝え、神がモーセに行った奇跡を再現して見せると、リーダーたちは神を信じ、喜び、皆で神を礼拝します。
礼拝は、神を信じて感謝をささげる事です。神が約束されたことを疑わずに、礼拝を捧げることは祝福につながります。聖書には、「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。」とあります。

イスラエル民族は、この時はまだエジプトを脱出していませんが、神が救い出すと約束されたことを疑わずに信じ、感謝の礼拝を捧げています。どんな状況であっても、神を信頼することを神は望んでおられます。礼拝は祝福の源です。礼拝に参加してみたくなったでしょうか。是非イエスキリストを信じている教会の礼拝に、出席してみてください。
次回は、モーセがイスラエルの民を、エジプトから助け出す話です。たくさんの困難がありますが、モーセと民は神の奇跡を体験しながら、エジプトを後にします。ぜひ一緒に、神の祝福を学んでいきましょう。
ここまで読んでくださってありがとうございます。また次の記事でご一緒できることを楽しみにしています。皆さんに、神の守りと祝福があることをお祈りしています。