モーセ②神の災い

謙遜であること

前回は、モーセがエジプトで誕生し、奴隷として苦しんでいる同民族イスラエル人を助け出すために、神から使命を与えられたところまでを学びました。今回は、モーセと家族、そしてモーセの兄アロンがエジプトからイスラエルの人々を助け出す話です。

モーセはイスラエル人でありながらも、エジプトの王女の養子になり、王子として育ちます。怖いもの知らずのモーセでしたが、大人になって挫折を経験し、人里離れた場所で生活することになり、モーセは地上のだれよりも謙遜な人に造りかえられます。神は、謙遜になったモーセに使命を与えます。神は謙遜で従順に神に従う人をとても評価し、祝福してくださいます。引き続き謙遜なモーセから、祝福の法則を学んでいきましょう。

今日のおともは、お芋のチーズケーキとアッサムティーです。チーズケーキには、ココナッツソースが添えられていて、エスニックに仕上がっています。神から美味しい恵みをいただきながら、聖書を分かち合いたいと思います。

神の約束

神はモーセに、エジプトの王のところに行き、神の祭りを行うからイスラエルの人々を解放するように伝えなさいと命じます。神はイスラエルの人々を奴隷から解放し、神の礼拝と祭典によって人々を祝福し、祝福の土地カナンに連れ帰ってくださるのです。

モーセは神に言われた通りに、家族と兄のアロンと一緒にエジプトの王のところに行き、イスラエルの人々の解放を求めます。神はモーセに、イスラエル人を助け出すという使命を与えたときに、エジプトの王にてこずらされることを、あらかじめ伝えていました。

モーセと兄アロンが王ファラオに交渉しても、王は、イスラエルの神など関係ない、イスラエル人を解放しないと断ります。奴隷となって、街の建設や農作業をさせられていたイスラエル人は、エジプトでは大切な労働者でした。神が言った通り、王はイスラエル人を、簡単に手放しませんでした。

モーセと兄アロンは、神に言われた通りにイスラエル人を解放しないと、疫病や紛争が起こり、エジプトは滅ぼされるかもしれないと忠告しても、王は聞く耳を持ちません。王は、イスラエル人であるモーセとアロンにも、仲間と一緒に労働するように言うだけです。

頑なになった王は、加えてイスラエル人の労働を重くします。エジプト人が与えていた煉瓦作りの材料を、イスラエル人自身で調達すること命令し、仕事量を増やします。またそれによって、煉瓦の生産量を減らしてはならないと言い渡します。王は、イスラエルの人々を労働に集中させ、反乱や企みを起こさないようにします。

こなせるはずのないほどの過酷な労働を要求されたイスラエルの人々は、王に訴えるのですが、王はこの政策を変えようとはしませんでした。

絶望して帰ってきたイスラエルの人々は、苦役が重くなったのは、モーセとアロンのせいだと不平を言います。王との交渉がてこずることはモーセも聞いていましたが、このイスラエル人に対する仕打ちに、モーセも困ってしまいます。。モーセは神のもとに行き、同じように不満を漏らしてしまいます。神に言われた通りにしているのになぜ裏目に出るのか、イスラエル人の状況は悪くなってしまった、本当に助け出してくださるのかと、モーセは訴えます。

神の答えは、「今や、あなたは、わたしがファラオにすることを見るであろう。わたしの強い手によって、ファラオはついに彼らを去らせる。わたしの強い手によって、ついに彼らを国から追い出すようになる。」

神の約束は本当に心強いですね。人が神の約束を手にするまでは、忍耐して待たなくてはならないこともあります。神のご計画と人間の思いは、必ずしも一致するわけではありません。自分の思うように物事が進まなくても、神のご計画と約束を信じて従うなら祝福を受けます。

神の使命は祝福

神は続けてモーセに言います。全能であるアブラハム、イサク、ヤコブの神は、彼らに約束したカナンの地を子孫のイスラエル人に与える事、奴隷としての過酷な労働から救い出す事を、宣言されます。モーセはこの神の約束を、イスラエルの人々に伝えるのですが、エジプトの王の過酷な要求のために気落ちしていた人々には、届きませんでした。

神はモーセにもう一度、王ファラオのもとに行って説得しなさいと言われます。モーセは、イスラエル人ですら耳を傾けないのに、王が話を聞くはずがないと、神に嘆きます。すっかり逃げ腰になっているモーセに、神は再度、モーセの使命を宣言します。神はモーセにイスラエルの人々を、エジプトから導き出しなさいと言われます。

神に従ってもなかなか思うようにいかないモーセは、自分の使命を疑い始めていたのかもしれません。そんなモーセに、はっきりと使命を宣言しています。聖書には、「神の賜物と召しとは、かえられることがない。」と書かれています。賜物とは、神から与えられた能力や才能の事です。賜物は神がすでに力を与えてくださっているものなので、特別な努力をしていなくても、人と比べて楽にできると感じるはずです。もちろん、そのまま神任せではなく、さらにその賜物を磨く努力をしなさいと、書かれています。

また召しというのは、神から与えられた使命の事です。神は全ての人に使命を与えていて、その使命は生涯変わることがないということです。モーセが体験したように、使命だと思って取り組んだことが上手く進まない時、使命を間違えているのかと悩むことがあるかもしれません。いつも神に祈り尋ねるなら、神は応えてくださるはずです。私は、自分の造られた意味、目的、使命を知り従うなら、困難を乗り越えて、充実した人生を送れるはずだと信じています。

また、神の使命を行うきは、必ず必要なものが与えられます。口下手なモーセには、雄弁な兄アロンが同行者として与えられました。神はモーセに、兄アロンが王の説得役になると約束します。神は無責任に使命を与えるお方ではありません。使命を与えたなら、責任を持って使命のサポートをしてくれます。そして神を信頼し従うなら、使命に対して喜びと結果が付いてきます。神の使命は祝福なのですね。

神の奇跡と災い

この後、モーセと兄アロンと、エジプトの王とのやり取りが続きます。神があらかじめ予告した通り、王はなかなか交渉に応じません。そのため神は、エジプトに三つの大きな奇跡と、十の災害を使って、神の力を現します。この神の業によって、エジプトのみならず、世界中が神の偉大な力を知ることになります。このやり取りが少し長く感じるかもしれませんが、神の偉大な力を人々が知るために必要だったと書かれています。

三つの奇跡 ①杖が蛇になる
      ②不治の皮膚病にする
      ③ナイル川の水が血にかわる

十の災害 ①血の災害    ナイル川の水が血に変わり、水は飲めず、魚は死ぬ
     ②カエルの災害  カエルが這い上がり、エジプト中を埋め尽くした
     ③ヨブの災害   ヨブが大量発生し、人々と家畜を襲う
     ④アブの災害   アブの大群が押し寄せ、エジプト人を襲う
     ⑤疫病の災害   伝染病が発生し、エジプトの家畜が死ぬ
     ⑥腫物の災害   エジプト人と家畜が、膿の出る腫物で苦しむ
     ⑦雹の災害    稲妻と雷、激しい雹によって、作物に被害
     ⑧イナゴの災害  イナゴが大量発生し、エジプト中の作物を荒らす
     ⑨暗闇の災害   エジプト全土が三日間、真っ暗闇になる
     ⑩長子の死の災害 エジプト人すべての長子(初めての子供)が怪死する

ちなみに、奇跡②不治の皮膚病は、モーセが神から使命を受けたときに、神の力をモーセに示すために、神がモーセの手を皮膚病にしては元したところで起きています。

杖を蛇、川が血に、カエルの災い

神は、モーセと兄アロンに、頑固なエジプトの王ファラオの説得するために、王の前で、兄アロンの杖を投げるように命じます。杖を投げると、神は杖を蛇に変えて、モーセと兄アロンに神が味方していることを証明します。ですが、エジプトの学者や呪術師も同じことができたようです。何と彼らも杖を蛇に変えて、その蛇は、蛇になった兄アロンの杖を飲み込んでしまいます。王ファラオは勝ち誇り、イスラエル人を解放しません。

次に神はモーセに、ナイル川に行って、王が水辺に来るのを待ち伏せするように言います。王が来たら、モーセの杖をとって、ナイル川の水を打つように指示します。神に言われた通りに、モーセがナイル川の水を打つと、水が血に変わります。川の魚は死に、悪臭を放ちます。ナイル川の水は飲めなくなります。

神に命じられて、モーセと兄アロンは、次々と河川、水路、池、水たまり、エジプト中の水のある所を打ちます。水のある所はことごとく血に変わり、国中が血に浸ります。ところが、エジプトの魔術師も同じことをしたので、王ファラオは、モーセのいう神を信じることはなく、心にも留めずに帰ってしまいます。そして他に土地を掘って、水源を得たようです。人間は、自分の力や知恵で対策できるうちは、神を信じにくいようです。

続いて神はモーセに命じて、王ファラオに、イスラエルの人々を解放しないなら、エジプト全土にカエルの災いを引き起こすとい警告させます。アロンが神の指示に従って、エジプトのあらゆる水の上に手を伸ばすと、カエルの大群が這い上がってきて、エジプト中を覆います。同じようにエジプトの魔術師もカエルを大量発生させます。カエルは王宮全体、王の寝室、寝台、さらに家臣や国中の民家に侵入し、台所までもカエルが群がります。

カエルの大群に悩まされた王ファラオは、モーセと兄アロンを呼び、神に頼んでカエルを退治するように命じます。そうすれば、イスラエルの人々が神に礼拝することを認めると言います。モーセは王の頼みの通りに、神に祈ります。神の存在と力を強調するために、王ファラオにカエルを取り除くタイミングまで希望してみるように勧めます。神は、モーセの祈り通り、王ファラオの望んだタイミングで、カエルが死に絶えるようにします。カエルの死骸が国中に積まれ、悪臭を放ったとあります。

カエルの害に降参したように見えた王ファラオでしたが、カエルがいなくなり一息つくと、モーセとアロンに約束した、イスラエル人の解放を取り消してしまいます。神が予告したとおりです。

ブヨとアブ、疫病の災い

次の神の災いはブヨです。モーセと兄アロンが神に言われた通りに土のちりを打つと、ちりはブヨに変わり、エジプト全土に広がって人と家畜を襲います。ご存知の方もいらっしゃると思いますが、ブヨというのは、体長2~4mmほどの吸血性の昆虫で、刺されると数時間後~翌日以降に患部が赤く腫れあがり、激しいかゆみや腫れ、発熱などの症状が出るそうです。ブヨによって人々と家畜は悩まされますが、今回はエジプトの魔術師も真似ができずに、王に、これは神の災いだと認めます。それでも、王は頑なに神を信じようとはしませんでした。

神の災いは続きます。神はモーセに、イスラエルの人々を解放しないなら、今度はアブの災いに会うと警告しなさいと言われます。ただし、イスラエル人が住むゴシェン地方だけにはアブは入り込まないので、神の力を知ることになるだろうと予告されます。アブというのは、ブヨよりも大きく体長9~14mmほどで、刺されると激しい痛みと共に出血するそうです。

神がアブを大量に発生されると、エジプトの王宮、家臣の家、そして国中の人々がアブの害で荒らされます。耐えかねた王は、モーセと兄アロンに、イスラエルの人々を解放はしないが、エジプトにとどまって、神に礼拝を捧げることは許可するから、神に頼んでアブを消すように頼みます。

モーセは、イスラエル人が神に礼拝を捧げるためには、異なる神を信じるエジプトの人々の土地を離れなくてはならない事を告げ、少なくても三日は旅をして距離をとると主張します。モーセは王に、今度は、約束を破らないようにと念を押し、王の頼みを聞き入れて、神に祈ります。神はモーセの祈りに応え、あぶを一匹残らず消してくださいます。しかし、王ファラオは再度心を頑なにして、イスラエルの民を旅に出すことはしませんでした。

次は疫病の災いです。神はモーセに命じて王ファラオに、イスラエル人を解放しないなら、恐ろしい疫病が、エジプトの家畜、馬、ろば、らくだ、牛、羊を襲うと警告します。しかし、イスラエル人の家畜だけは病にかからず、死ぬこともないと言われます。ここでも神の存在と力、イスラエルの人々への祝福が証明されています。神はこの通りに行います。王ファラオは、人を遣わしてイスラエルの家畜が死んでいないことを確認するのですが、それでもイスラエル人を解放しようとはしませんでした。

神の警告と災い

これからは、人々の体にも災いが起きてきます。神は、モーセと兄アロンに、かまどのすすを取って、王ファラオの前で、天に向かってまき散らすように指示します。二人が神の指示に従ってすすをまき散らすと、エジプト全土の人と家畜に降りかかり、膿の出る腫物になります。この腫物のために、エジプトの魔術師も、モーセの前に現れ、神を否定することができなかったようです。腫物がエジプトの人々に広がってもなおも、王は神が予告なさったとおりに、モーセと兄アロンの事を聞くことはありませんでした。

神はモーセに命じて、王ファラオに再度災いの警告をします。エジプト始まって以来の、激しい雹を降らせるのです。神は情けをかけて、モーセを通して、エジプトの民に家畜と一緒に屋内に非難するようにと伝えます。神の言葉を信ぜずに非難しかかった者は、雹に打たれて死んでしまうと言われます。人々の中には、信じて家畜と共に非難した人もいれば、信じることなく避難しなかった人がいました。

モーセが神の指示に従って、天に向かって手を差し伸べると、神は雷と雹を下され、稲妻が大地に向かって走ります。雹が降り、稲妻も絶え間なく続きます。この雹と稲妻は、エジプトの誕生以来かつてなかったほど甚だ激しく、あらゆる草や木を打ち砕きます。神の予告を聞いても避難せずに、屋外にいたものは人も家畜もすべて打たれたとあります。

神はイスラエル人の住むゴシェン地方だけは守り、稲妻も雹もありませんでした。アブが大量発生した時も、疫病がエジプトの人々と家畜を襲ったときも、イスラエルの人々は災いに会うことはなく、守られています。

ノアの洪水のところでも学んだのですが、神の予告を信じて避難、対策をしたものは救われています。ノアが箱舟を作っている間、ノアの家族以外の人々は神の予告を信じなかったために、滅んでいます。エジプトに激しい雹の予告と、避難勧告を神は与えていたのに、信じない人もいました。神は人間を不意打ちに裁くのではなく、必ず予告をし、神を信じ立ち返る機会を与えます。

現代の私たちへの神の警告は聖書にあり、イエスキリストを信じる者は救われるということです。情報があふれ、どれが神の本当の警告なのかわからない世の中ですが、真理は聖書にあります。

さすがに王ファラオは、モーセと兄アロンに自分の非を認め、イスラエル人の解放を約束します。モーセが神に祈ったので雹はやみます。ですがモーセは、まだ王ファラオと家臣たちが、神の力を信じ切っていないことを知っていました。

雹と雷がやむと、王はまたも心を変えて、イスラエル人を解放しようとはしませんでした。多くの作物、亜麻と大麦は壊滅しますが、実るのが遅かった小麦と、スペルト小麦は無事だったので、王にはまだ余裕がありました。

王の心は全て神が操っています。神は王の心が改心しないような状況を残しています。王の心を頑なにし、災いを続け、世界中の人々が神の力を知るようになるためです。またイスラエル人がこの出来事を子孫に語り継ぎ、永遠に神をほめたたえるためには、必要な災いです。

イナゴと暗闇

モーセは王ファラオに、イナゴの災いの警告をします。地面の見わけもつかなくなるほどイナゴが大量発生し、雹の害を逃れたわずかな作物も食い尽くすと予告します。この警告を聞いたエジプトの家臣たちは、このままではエジプトが滅んでしまうと、王にイスラエル人を解放するように訴えます。王は考えた末に、モーセと兄アロンに、イスラエルの男性だけは神の礼拝の旅に出てよいと許可します。

神はモーセに、エジプトの地に手を差し伸べて、イナゴを呼び寄せるように指示します。モーセが従うと、一昼夜東風が起こり、朝には大量のイナゴが飛んできます。エジプト全地は神の言われた通りにイナゴでいっぱいになり、王宮、家臣の家、エジプトの人々のすべての家に溢れます。イナゴがすべての作物を食い尽くしてしまったため、大地から緑がなくなります。

こんな死に方はしたくないと王ファラオは、慌ててモーセと兄アロンを呼び寄せ、神に祈るように頼みます。モーセが神に祈ると、風は向きを変えて西風になり、イナゴを吹き飛ばし、エジプトの全地から消え去ります。しかし、神は王の心を変えようとはしませんでした。

神は次に暗闇の災いを起こされます。モーセに命じて、手を天に向かって差し伸べさせると、神は三日間、昼も夜も、エジプト全地を暗闇で覆います。エジプトの人々は、三日間、互いに見ることも、自分のいる場所から立ち上がることもできませんでした。しかし、イスラエルの人々の住んでいる場所全てに、光がありました。

王ファラオは、イスラエルの男性だけでなく、妻子も連れて旅に出ることを許可するのですが、羊と牛は残しておくように命じます。ですがモーセは、神に捧げる家畜を連れていくと主張します。王ファラオはすっかり機嫌を損ねて、イスラエルの人々の旅の許可を取り消します。神が王の心を操っています。王は、二度とモーセに会いたくないと、いら立ちを隠せません。モーセも同じ気持ちなのです。

様々な神の奇跡、災いを通して、神は全能な方で、不可能なことは何ひとつなことがわかります。聖書に、この全能の力をもつ神が怒り、本当は神に背く人間を滅ぼしたいと思っているが、人間を愛しているために、忍耐してゆるしているとしたらどう思うかと、問いている箇所があります。神の愛に甘えて、神を軽んじてはならないのです。

神は人間を一瞬で造ることもでき、一瞬で滅ぼすこともできる力を持っています。エジプトの王の心を頑なにし、災いを送り続けながらも滅ぼすことをしなかったのは、世界中の人々に神の力を示し、忍耐して全ての人々が神に立ち返る事を望んでいるからです。神は全ての人の神です。

次回はいよいよ最後の災い、エジプト中の人々の初の子供の死から、エジプト脱出の話を分かち合いたいと思います。神がどれほど大きな力を持っているかを、教えてくれます。全能の神の祝福を受けていきたいですね。

ここまで読んでくださってありがとうございます。また次の記事でご一緒できることを楽しみにしています。皆さんに、神の守りと祝福があることをお祈りしています。

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