神に立ち返る
前回は、神がエジプトに起こした十の災いのうちの、九つまでを共に学びました。ナイルの川の水が血に変わったり、カエルやブヨやアブの大量発生によって煩わされたりするのですが、だんだんと人々の体や健康にまで災いは及びます。皮膚に膿の出る腫物ができたり、疫病が流行し、亡くなる人々や家畜が出てきました。さらに激しい稲妻と雹によって、その災いの神の警告を信じなかった人々とその家畜は打たれて死んでしまいます。
神は一瞬で人を滅ぼすことができるのです。でもそうしないのは、忍耐をして人々が神に立ち返ることを待っているのです。何度も何度も災いを起こし、人々に神の偉大な力を示し、身勝手な人間が滅びないのは神の憐みであることに気づかせ、神に悔い改めさせるためです。

神は私たちが、自分の罪を悔い改め、イエスキリストを信じて神に立ち返ることを待っています。
今回は、最後の災いから、イスラエルの人々がエジプトを脱出するところを、分かち合いたいと思います。今日の私のお供は、スターバックスコーヒーの新作ストロベリータルトと、コロンビアナリニョコーヒーです。

またとても感じの良いバリスタさんから、THE苺フラペチーノのサンプルをいただきました。神の言葉を伝えていると、必ずご褒美があります。感謝をもって、聖書をお伝えしたいと思います。
イスラエルを過ぎ越す
いよいよ神の最後の災いです。イスラエルの人々の脱出の日も近づいています。神はモーセに、次の災いによって王ファラオは、ついにイスラエル人を解放すると宣言します。神はエジプトの人々の初子、つまり各家庭の初めて生まれた子供の命を、すべて奪うとのことでした。王の初の子供から、家臣や奴隷の初の子供、エジプト国民すべての初子の命が取られるのです。それは家畜の初子にまで及びます。この今までにないほどの惨事によってエジプト中に叫びが起き、王は懇願して、モーセとイスラエルの人々をエジプトから去らせると預言します。
モーセがこの恐ろしい預言を王ファラオに伝えても、神が王の心が変わらないようにしたため、王はイスラエル人を離そうとはしませんでした。

神はこのエジプト人の全ての初子の命を奪うという災いの前に、イスラエルの人々がこの災いから守られるために必要な儀式を与えます。イスラエルの人々は家族ごとに羊を取り、その羊の血をそれぞれの家の鴨居と、入り口の柱に塗りなさいと指示します。神がエジプトの人々の初子の命を奪う時、羊の血が塗られているイスラエルの家の子供には手を下さないと約束されます。
この恐ろしい災いから、神がイスラエルの家を守ってくださった祝福をたたえて、「過ぎ越しの祭り」が定められます。この祭りは現在も、イスラエル、またキリスト教圏の国では、「過ぎ越しの祭り=PASSOVER」として、毎年盛大にお祝いされています。神がこの祝いを、代々永遠に行うことを命じたためです。すべての子孫が、神が災いからまもってくださったことを忘れることがなく、永遠に神の祝福を受けるためです。
モーセが、イスラエルの人々に、神が命じた過ぎ越しの儀式を行うように命じると、人々はひれ伏して感謝の礼拝を捧げます。それから、命じられたとおりに儀式を行います。
実際にはこの時神が命じた儀式と、現在も行われている過ぎ越しの祭りには、様々な決まり事があり、食材の指定、調理方法、食事の仕方など細かく指定されています。

最後の災いとエジプト脱出
夜になり、神の災いが始まりました。王ファラオの初の子から、牢屋につながれている捕虜の初の子、家畜の初の子まで、エジプトのすべての人々の初の子の命が取られていきます。死人の出なかった家は一軒もなく、夜中に人々の大きな叫びが起こります。
王ファラオはすぐに、モーセと兄アロンを呼び寄せます。神の予告通りに王は、二人にすぐにイスラエルの人々を連れてエジプトを出ていくように頼みます。羊も牛も望むだけ連れていき、好きなように神に礼拝するように言います。
エジプトの人々も、このままでは皆死んでしまうと、急いでイスラエルの人々が出ていくように急き立てます。神はモーセを通して、イスラエルの人々に、エジプト人から貴金属や装飾品、衣類を要求して財宝を得るように指示していました。スラエルの人々は、たくさんの品々を持ってエジプトを後にします。この頃には、モーセはエジプト中から尊敬されていて、またイスラエルの人々も好意を受けていました。
神の導きに従う
イスラエルの人々がエジプトに滞在していた期間の四百三十年経ったちょうどその日に、神はイスラエルの人々をエジプトの地から導き出します。
脱出したイスラエルの人々は、成人男性だけで六十万人とありますあから、彼らの妻子、また加わった他の種族の人々をいれると倍以上の人々です。これほどたくさんの人々を導くモーセの責務の重さがわかります。神の助けなしには成功することはなかったはずです。神から大きな任務を与えられる者は、神に完全に従えるまで、謙遜でなければなりません。モーセが荒野で挫折を味わいながら生活した日々は、神の訓練となっています。

モーセはヨセフの遺骨を持ってエジプトを出ました。エジプトで大臣として人々を飢饉から守り活躍したヨセフは、異国の地エジプトではなく、神の約束された土地に同族と共に葬られたいと、代々遺言していたからです。
神は、エジプトを出国したイスラエルの人々を導くために、夜は火の柱、昼は雲の柱を起こして、人々を誘導しました。神は戦いのある危ない土地は避けて、迂回して安全な道を選ばれます。
イスラエル人が神を信用せずに、自分の判断で道を選んでいたら、危険な目にあったり、神の約束の土地にたどり着けなかったはずです。
私たち一人ひとりの人生も同じです。神の計画に従わずに、身勝手に人生を生きるなら、苦労するだけでなく、成功を逃してしまいます。目には見えなくても、神に祈り、雲の柱、火の柱となる導きを求めることが大切です。
神の戦い
神はモーセに、引き返して、ミグドルという地と海の間にあるピ・ハヒロトというところに留まるように指示します。それによって、エジプトの王ファラオに、イスラエルの人々が道に迷ったと思わせるためです。神は、王の心を再度頑なにし、道に迷ったように見えるイスラエルの人々を連れ戻そうとさせます。追ってきたエジプトの軍隊を通して、神は栄光を現すとモーセに予告します。
イスラエルの人々が、神がモーセに命じた通りに移動すると、エジプトの王ファラオは、神が予告した通りに、イスラエルの人々を解放したことを後悔します。王はすぐに自ら全ての戦車を動員し、軍勢を連れ、イスラエルの人々の後を追います。そしてエジプト軍は、海辺に滞在しているイスラエルの人々のもとにたどり着きます。
イスラエルの人々が、エジプトの軍隊が襲い掛かってくるのを目にすると、非常に恐れて動転し、神とモーセに叫びます。なぜエジプトから連れ出したのか、荒野で死なせるためなのか、こんな目にあうのなら、エジプトに戻って奴隷として仕える方がましだと言い始めます。死を目前に感じ、彼らは取り乱しています。
モーセは、 「恐れてはならない。落ち着いて、今日、あなたたちのために行われる主の救いを見なさい。あなたたちは今日、エジプト人を見ているが、もう二度と、永久に彼らを見ることはない。 主があなたたちのために戦われる。あなたたちは静かにしていなさい。」と、心から神を信頼しています。
海を渡る

続いて神はモーセに、杖を高く上げて、手を海に向かって差し伸べて、海を二つに分けなさいと言われます。そうすれば、イスラエルの人々は海の中にできた乾いた道を通ることができます。それから神は、エジプト人の心を頑なにし、イスラエルの人々を追わせます。神の奇跡を見せるためです。
イスラエルの人々が、神がモーセに語られた通りに、海の方に向かって出発すると、イスラエルの人々の先頭を進んでいた神の天使が一番後ろに移動し、エジプト人が近づけないように守ります。
モーセが海に向かって手をあげると、神は激しい東風を送り海を押し分けます。海は二つに分かれ、間に乾いた道が現れます。イスラエルの人々は、右と左に壁のようになった海の水の間の道を歩いて渡ります。

エジプトの軍隊は馬、戦車と一緒に、歩いて海を渡るイスラエルの人々の後を追って、海に入ってきます。
神はエジプト軍の戦車の車輪をはずし、前に勧めないようにします。イスラエルの人々を目前にしながらも追いつけないエジプト軍は、神が邪魔をしていることを悟ります。「イスラエルの前から退却しよう。主が彼らのためにエジプトと戦っておられる。」と確信します。
神はモーセに、海に向かって再度手を差し伸べるように命じます。海の水が、エジプト軍の上、戦車、兵士の上に流れ返ると言われます。モーセが神に命じられたとおりに手を差し伸べると、夜が明ける前に、海はもとのように流れ返ります。エジプト軍は水の流れに逆らって逃げるのですが、神は彼らを海の中に投げ込ます。エジプト軍は一人も残らず海に飲まれてしまします。
イスラエルの人々は神に助け出されると、エジプト人が浜辺で死んでいるのを目にします。それを見て、神の偉大な力を知り、神をおそれ、神とモーセを信じます。
海の歌
モーセとイスラエルの人々は、神の偉大な力に心砕かれ、心を込めて賛美をします。以下は、彼らが賛美した歌詞です。瀬戸際まで追い詰められた彼らが、神の力によって助け出された感動を思い、割愛せずに全てを引用しました。共に彼らの感謝の思いを感じていただけたらと思います。もちろん、聖書から直接読んでいただくことを、強くお勧めします。
海の歌
「主に向かって私は歌おう。
主は大いなる威光を現し、馬と乗り手を海に投げ込まれた。
主は私の力、私の歌、主は私の救いとなってくださった。
この方こそ私の神、わたしは彼をたたえる。
わたしの父の神、わたしは彼をあがめる。
主こそいくさびと、その名は主。
主はファラオの戦車と軍隊を海に投げ込み、えり抜き戦士は葦の海に沈んだ。
深淵が彼らを覆い、彼らは深い底に石のように沈んだ。
主よ、あなたの右の手は力によって輝く。
主よ、あなたの右の手は敵を打ち砕く。
あなたは大いなる威光をもって敵を滅ぼし、怒りを放って、
彼らをわらのように焼き尽くす。
憤りの風によって、水はせき止められ、流れはあたかも壁のように立ち上がり、
大水は海の中で固まった。
敵は言った。
『彼らの後を追い捕らえて分捕り品を分けよう。』
あなたが息を吹きかけると海は彼らを覆い、
彼らは恐るべき水の中に船のように沈んだ。
主よ、神々の中にあなたのような方が誰かあるでしょうか。
誰か、あなたのように聖において輝き、
ほむべき御業によっておそれられ、くすしき御業を行う方があるでしょうか。
あなたが右の手を伸べられると、大地は彼らを吞み込んだ。
わたしは慈しみをもって贖われた民を導き、御力をもって聖なる住まいに伴われた。
諸国の民はこれを聞いて震え、苦しみがペリシテの住民をとらえた。
そのときエドムの首長はおののき、モアブの力ある者たちはわななきにとらえられ、
カナンの住民はすべて気を失った。
恐怖とおののきが彼らを襲い、御腕の力の前に石のように黙した。
主よ、あなたの民が通り過ぎ、あなたの買い取られた民が通り過ぎるまで。
あなたは彼らを導き、嗣業の山に植えられる。
主よ、それはあなたの住まいとして自ら造られた所。
主よ、御手によって建てられた聖所です。
主は代々限りなく統べ治められる。
ファラオの馬が、戦車、騎兵もろとも海に入ったとき、
主は海の水を彼らの上に返された。
しかし、イスラエルの人々は海の中の乾いた所を進んだ。」
アロンの姉ミリヤムと、女性たちが小太鼓を手に取り、踊りながら一緒に賛美します。
「主に向かって歌え。主は大いなる威光を現し、馬と乗り手を海に投げ込まれた。」

ここまで読んでくださってありがとうございます。また次の記事でご一緒できることを楽しみにしています。皆さんに、神の守りと祝福があることをお祈りしています。