モーセ⑥十戒

広がる神の祝福

前々回からイスラエルの人々がエジプトから脱出して、目的地に向かっていく旅路での出来事をともに分かち合っています。前回は、イスラエルの人々が目的地に向かって旅をする中で、アマレクという民族に戦いを仕掛けられたとき、神の助けによって勝利を収めた話を中心にまとめました。モーセと兄アロン、フルが一日中手を上げて祈り、神がその祈りに応えてくださって勝利することができました。祈りには強い力があります。

またモーセが舅イテロに、神がしてくださった奇跡の数々を話したことで、偽物の神を信じていた舅イテロが、本当の神を信じるようになったこともありました。神のなさった奇跡を人々に話し伝えることで、それを聞いた人々が神を信じるようになるのです。

神の祝福は、神を信じる一人だけで終わるのではなく、その一人を通して広がっていくものなのです。神の奇跡を伝えていくなら、私たちを通して、周りの人々皆が祝福を受けていきます。

今回は、旅路の中での、シナイ山という山のふもとでの出来事をまとめていきたいと思います。イスラエルの人々が神から「十戒」という律法を受ける、とても有名なところです。

一緒に美味しいものをいただきながら、聖書を分かち合えたらと思います。今日の私のランチは、サーモンの月見丼です。美味しい神の祝福に与り、感謝でいっぱいです。

神の聖さ

イスラエルの人々は、目的地に向かって旅立ち、シナイ山という山のふもとにたどり着きます。モーセがその山に上っていくと、神はモーセに語り掛けます。

神はモーセに、神がこれからイスラエルの人々と祝福の契約を結ぶことを伝えます。イスラエルの人々が神の命令に聞き従い、契約を守るならば、神は人々を神の宝とし、また全世界の人々を神の国に導くための手本としての、指導的な国民にすると言われます。

モーセはイスラエルの人々の年長の指導者たちを集めて、神の言葉を伝えます。これを聞いた人々は、この言葉を喜んで受け取り、「わたしたちは、主が語られたことをすべて、行います。」と返事をします。

神は、これから契約を結ぶために、人々に準備をさせます。神がシナイ山に降りてこられる三日後までに、自らを清め、衣服を洗い、女性と距離を置くように命じます。

神は人間が思うよりもはるかに聖いお方です。アダムとエバの罪を受け継いでいる人間の想像をはるかに超えています。人々はその聖い神との契約のために、身を清めます。

イスラエルの人々は、「主が語られた事をすべて行います。」と宣言しましたが、まだ神の与える律法の厳しさを理解していませんでした。罪のある人間が聖い神の行いをすべて行うことは到底無理です。神はそれをご存知の上で、人を見捨てることなく祝福を与えてくださるのです。

神の聖さゆえに、イスラエルの人々は許可された範囲までしか近づくことができません。神が来られるシナイ山には、モーセしか上ることができず、人々や獣は山に触るだけで命を絶たれます。ただ、神が鳴らされる、角笛が長く鳴り響くときだけ人々は近づくことが赦されました。

いつでも神が聖いお方であること、罪で汚れた人間は神の赦しなしでは近づけないことを、心にとめておきたいところです。罪がありながらも、神の愛と祝福を受けられる恵みに感謝したいと思います。

十戒

いよいよイスラエルの人々は、モーセを通して「十戒」が与えられます。神は山に下りてこられると、モーセに山に登ってくるように命じます。登ってきたモーセに神は、再度イスラエルの人々を山に近づかせないように命じます。

神はイスラエルの人々の罪ある性質をよくご存じです。山に近づかないように再度命じるのは、人間がすぐに命令を理解し、従うことができないと理解しているからです。神は特に重要なことは、繰り返して教えます。神が何度も教えることは、私たちの肉体と魂を守るためにとても大切なものです。聖書を読み進めるうえで、いつも心にとめていただけたらと思います。

神はモーセを通して、イスラエルの人々に神の律法を伝えます。その数は六百十三もあり、神はその律法をモーセを通して人々に与えます。十戒はその六百十三の中の最初に出てくる十個の律法で、神は2枚の石の板に十戒を書き記しモーセに渡します。

神と人とに関する4つ

多くの国、特にキリスト教圏の国の憲法はこの十戒に基づいていると言われています。日本の憲法もアメリカの憲法に倣っていますので、十戒を見ると馴染み深い内容です。ですが、聖書からもう少し踏み込んで学んでいきたいと思います。

神がモーセをとおして与えた律法の十戒は、大きく二つに分けることができます。初めの4つは、「神と人との関係」に関するものです。一番大切なのは神との関係です。聖書には、神を第一にすると必要な物は全て与えられる、と書かれています。

Ⅰあなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。
イスラエルの人々は、四百年近くエジプトで奴隷として生活していました。エジプトの人々は、様々な偽物の神を信じていました。外国人であるイスラエルの人々は先祖アブラハム、イサク、ヤコブ、ヨセフの時代から受け継いだ本当の神の事を知ってはいましたが、異国の地エジプトで生活が長くなると、偽りの神を信じる人々の影響も受けていきます。特に新しい世代では、この影響が大きかったと思われます。本当の神はこの後イエスキリストを送ってくださる方お一人だけで、この神だけが私たちを救い助けることができます。本当の神に立ち返るための律法です。

Ⅱあなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。
偽物の神を信じるとは、他の宗教の神だけではなく、お金、地位、名誉、財産や人など、本当の神以外の物に頼ることも含まれています。現代でいうとパワーストーンやパワースポット、お守りなども含まれます。聖書ではこのような本当の神以外の偽物を偶像と呼び、あってはならないと教えています。神以上に力のある物も人もないのです。全ての良いものは真の神からくるものです。

Ⅲあなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。
神は私たちをはるかに超えて聖く偉大なお方です。神を呼ぶときは畏れ敬って呼ぶべきだということです。むやみやたらに軽々しく神の名を口にするのではなく、敬虔な心で神を呼び求めるべきです。

Ⅳ安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。
神はイスラエルの人々にマナというパンを食糧として与えたときに、七日目は「安息日」として、マナを集めに行くことだけでなく、全ての労働を休むように命じました。神は私たちに休息を与え、その休息を神と共に過ごす日とされています。この休息の日に神に感謝を持って礼拝を捧げるなら、心身ともに疲れから回復します。またそれ以上の祝福もついてきます。

人と人との関係に関する6つ

十戒の後半6つは、「人と人との関係」に関するものです。まず初めの4つで神との関係を整え、次に周りの共同体との関係を整える律法です。

Ⅴあなたの父と母を敬え。
神は、両親を尊敬し、両親の教えに従うように教えています。そうすれば、神は私たちに与えた土地で、長く幸せに生きることができると約束されています。

Ⅵ殺してはならない。
人間一人ひとりは、神が与えた命です。それを人間が奪ってはならないという教えです。殺してはならないとは、単に人の命を奪うことだけでなく、怒りや憎しみを持つことも含まれています。

Ⅶ姦淫してはならない。
異性との付き合い方を教えています。結婚後に配偶者以外の異性と関係を持つことだけでなく、結婚前の性的関係、また異性を性的な対象としてみることも禁じています。

Ⅷ盗んではならない。
神は、一人ひとりに必要な物を与えています。人の物を盗むのは、神がそれぞれに与えた権限を侵すことになります。欲しいものがある時は、素直に神に祈り求めてみましょう。子供に何かを買い与える時のことを思うと判りやすいと思いますが、与えることでその人にとって不利になったり、神の計画とずれてしまうなら、祈りは聞かれません。ですが、神は必要な物は与えてくださいます。

Ⅸあなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。
簡単に言うと、嘘をついてはならないということです。嘘をついて人をだましたり、欺いたりすると神の祝福を逃してしまいます。

Ⅹあなたの隣人の家を欲しがってはならない。
もちろん家だけでなく、持ち物、人、地位、能力などすべてが含まれています。他の人の持っている素晴らしものを自分も欲しいと思うのは自然なことですし、それを手に入れようと志を持つことは悪い事ではありません。他の人が所有しているそのものを、自分の物にしようとしてはならないということです。「盗んではならない。」と同様に、何かを手にしたいと思うなら、神に祈り求めることです。また能力や技術であれば、それを手にするための努力を神に導いていただくことです。また羨むのではなく、自分に与えられているものに目を向ける事も大切です。神は一人ひとりにすでに素晴らしいものを与えてくださっています。

十戒は誰のため

長い間エジプトで奴隷として生活していたイスラエルの人々は、エジプトから脱出し神の与える安住の地で平和に暮らすために、神との関係を取り戻さなくてはなりませんでした。神は、イスラエルの人々からエジプトで受けた偽物の神の影響を取り除き、本当の神との関係を築かせ、祝福を与えるためにモーセを通して十戒を与えました。

神と人との正しい関係を教え、人が共同体で正しく生活するうえでの秩序を教えているのが十戒です。
十戒は私たち人間を縛る物ではなく、祝福し幸せにしてくれる神の贈り物です。

ですが、もう気づいてらっしゃる方は気づいていると思いますが、神の律法はアダムとエバの罪を受け継いでいる人間には不可能です。表面的なことではなく、神の教えている本当の意味での律法を完全に守り行うことはできません。

現代の生活では、お金や権力など、知らず知らずのうちに神以外のものを頼りにしてしまいがちです。これは神以外に神を持つことになり、偶像の罪でもあります。また、愛する両親、家族、友人であっても罪ある人間です。両親を敬うことが難しいこともあります。誰にでも人を嫌ったり憎んだりしたことはあると思います。魅力的な異性に心を奪われることもあると思います。

律法は神の聖い性質

神の与える律法は、神の完全な聖い性質を現しています。罪ある人間には守り行うことはできません。神は愛の方であるのに、人間を裁くために律法を与えているのでしょうか。律法によって、決してたどり着けない神の聖さと人間の罪深さを知ることができます。自分の罪を認め、悔い改め、神に立ち返ることができます。神は、人間が自覚していない罪に気づき、悔い改めて、神のもとに帰ってくることを待っています。

神は神の聖さにたどり着けない人間を見捨てて、見殺しにするような方ではなく、愛と憐みを持って私たちを迎えてくれます。罪ある人間は、本来その罪の罰を受けなければならないのですが、神は代わりに罰を受けてくださるイエスキリストを与えてくださいました。十字架刑で罰を受けて死んでくださったイエスキリストを信じ、感謝を持って神に立ち返るなら、神は喜んで迎えてくださいます。

また十戒は、イエスキリストが身代わりになったからと言って、無効になったわけではありません。神は神の戒めを守り行う者には、代々に渡って祝福を与えると言われています。神の聖さと祝福を求めて、律法を行えるように祈り求め、従うように心がけるなら、神は助けてくださいます。自分の力ではできない事も、神の力があればできるのです。私たちを通してこの神の力が現れた時、神の存在を認め信じる人々が出てきます。神の力を現すひとりとなっていきたいですね。

ここまで読んでくださってありがとうございます。また次の記事でご一緒できることを楽しみにしています。皆さんに、神の守りと祝福があることをお祈りしています。

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