足の灯、道の光
前回は、イスラエルの人々が金の子牛を作って神として崇めた、非常に大きな罪を犯したところをまとめました。人々は、「わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。」、「偶像を造ってはならない。」をはじめとする十戒や、そのほかの律法に従うと宣言したばかりでした。ですが、人々を導くリーダーのモーセがなかなか山から戻ってこないために、不安になり自分たちで偽物の神を作ってしまいました。
神は怒って人々を滅ぼそうとしたのですが、モーセが神をなだめ、人々のために弁護したので、人々は滅びを免れました。ですが神は旅に対して、この先は同行しないと言われます。神が共におられなければ、何一つ成功することはありません。モーセが神に熱心に祈り頼み、また人々も罪を犯したことを悔い改めたため、神は再度人々の旅を導いてくださると約束してくださいます。
イスラエルの人々の姿は、人は窮地に陥ったり先の見えない困難な状況になると、神の存在を疑い、神に背く罪があることを教えてくれます。聖書を読むと、自分の持っている罪を知ることができます。どんな困難があっても、神に祈り求める大切さを学ぶことができます。

聖書に神の言葉は、「足の灯、道の光」と書かれています。神の言葉が私たちの足元を照らしてくれるので、転んだり躓くことがありません。罪や災いから守ってくれます。ともに聖書を分かち合い、罪を避け祝福を受ける秘訣を学んでいけたらと思います。
今日の私のお供は、タリーズ&ティーの季節のスイーツ、タルトルビー3種のベリーと、オリジナルマラウイ&ダージリンです。美味しい神の恵みに感謝でいっぱいです。
再契約
モーセの弁護と、人々の悔い改めをを受け入れた神は、モーセが怒りにまかせて砕いてしまった十戒の石板を再度作り直すために、モーセに同じような石の板を2枚切り取るように命じます。モーセは神に従い、石の板を取り、再度シナイ山に一人で登ります。

モーセは神の前に立ち、イスラエルの人々が罪深いものであることを告白し、神に赦しを求めます。神はモーセの祈りに応え、再度契約を結ぶと言われます。神はモーセに、アブラハムから約束している祝福の内容や、人々が守らなければならない契約の内容を再度語られます。
その中には、人々が神の約束の土地カナンに入ったら、その地の人々と関係を結ばない事、その地の全ての偶像を取り除くことも命じられています。人は住む土地の習慣の影響を受けます。イスラエルの人々が、偽物の神を信じるようになってしまうと、神の祝福を受けられなくなってしまいます。
また加えて神を記念とする祭りを行うこと、週に1日は安息日として休むこと、神に捧げる食物の規定などが命じられます。これもその地の人々の影響から守られるために、必要な命令でした。
モーセはこの契約を受けるために、再度四十日山にとどまり、食事も水分も摂らずに神の契約内容を石の板に書き写します。
光るモーセの顔

モーセが石の板と共に山を下りると、その顔は神の栄光を受けて光輝いていました。モーセがイスラエルの人々の所に行くと、人々はモーセの顔の光に恐れて近づくことができませんでした。
モーセの受けた光は、神の聖い光です。神の聖さに、罪のある人間は尻込みし隠れたくなります。
罪を犯す前のアダムとエバは、神様と親しく交わり神の楽園で幸せに暮らしていました。ですが神の命令に背いてしまうと二人に罪が入り込み、神に呼ばれても出ていくことができませんでした。今の私たちもその罪を受け継いでいますから、神のに近づくことができません。
ただ、罪の身代わりになり十字架刑を受けてくださったイエスキリストを信じ悔い改めることで、神に近づくことが赦され、神の国に戻ることができます。
モーセは兄アロンと、人々の代表者たちを呼び寄せて、神に語られたことを全て伝え命じます。モーセは語り終えてから、光を放つ自分の顔に覆いを掛けます。モーセは神の前に出る時と、人々に神の言葉を伝える時だけ覆いをはずし、それ以外は顔に覆いを掛けていました。
幕屋建設
一度はイスラエルの人々との契約を取り消した神でしたが、再度契約を結ばれると、すでにモーセを通して命じていた「幕屋」の建設に取り掛かるように命じます。幕屋は神と正しい関係を結び礼拝を捧げるための施設です。幕屋の存在は、神がイスラエルの人々と共にいてくださるという証とも言えます。

モーセは、神から命じられた幕屋を建てるためのための細かな指示に従って、人々ともに建設を始めます。
人々に必要となる材料、金銀や青銅、織物を作るための糸、家畜の毛皮、木材、油や香草、宝石などを捧げるように命じると、人々は喜んで捧げます。それは余りあるほどで、モーセが人々に捧げるのを止めるように命じるまで持ち込まれました。神に喜んで惜しみなく捧げられる心は、必ず祝福されます。
幕屋建設のために、神はそれぞれの働きに人々を選び出し、必要な知恵と力を与えていきます。神は名指しでベツァルエルという人を選び、またその下にオホリアブという人を選び、建設のために必要な知恵や力を与えます。また人に教え指導する力が与えたので、指揮官としても働ていきます。
建設のための仕事は多岐にわたりますが、それぞれの仕事に対してもともと興味があったり、得意とする人々が呼び出されていきます。金銀銅を細工する者、宝石をはめ込むもの、木を彫刻する者などによって器具や備品が造られます。またある者は木材を使って壁板を作ります。集められた糸を織って、幕屋に使う幕や布を作ったり、神の仕事をする祭司と呼ばれる人々の衣装を作る者もいました。また礼拝や捧げものに必要な香料に携わる人々も集められました。
与えられる志と能力
神は、それぞれ一人ひとりに、神の命じている仕事や役割に必要な素質を与えています。どんな人にも得意分野があるのは神がもともと与えたものです。聖書には、「神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を建てさせ、事を行わせてくださるのです。」と書かれています。それぞれが得意なこと、やっていて楽しい事を通して自分に与えられた役割を知ることができます。また将来の夢や希望として願うようになるのは、神がその道に導いているということです。幕屋建設のために、人々がそれぞれの仕事に選び出されたように、私たち一人ひとりも神のご計画に選び出されています。

また聖書には、与えられた才能を磨きなさいと教えている箇所があります。人それぞれ与えられた才能の量は違うのですが、少なくても多くても努力して才能を活かしていくと、さらに能力が与えられるということです。
自分に与えられている才能や能力を、誇ったり自慢することはよくありませんが、否定して放棄することも悪い事だと書かれています。自分に与えられている才能は、神のご計画のために捧げる事で祝福され、能力はさらに大きくなっていきます。

人々は、幕屋に必要な材料を捧げただけでなく、自分の能力と才能、時間と労力を捧げました。
聖書に、「少しだけ蒔く者は、少しだけ刈り取り、豊かに蒔く者は、豊かに刈り取ります。ひとりひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は喜んで与える人を愛してくださいます。」と書かれています。
続けて「神は、あなたがたを、常にすべてのことに満ち足りて、すべての良いわざにあふれる者とするために、あらゆる恵みをあふれるばかり与えることのできる方です。」とあります。
喜んで神に捧げる者を神は祝福してくださいます。その時の状況によってなかなか喜んで捧げられない時もあると思います。全ての必要な物を神が与えてくださるという言葉を、心から信じて喜んで捧げられるように、神に祈り求めたいと思います。
神の聖さ

人々の献身的な働きによって、壁板や柱、垂れ幕や入口の幕、契約の箱、台座、机、燭台、香をたく祭壇、祭壇、幕屋を囲む庭などが造られます。また、神のための仕事をする祭司のための衣服や、宝石のついた胸当てなどが用意されます。
造られたすべては、神が指定された通りの材料、寸法、方法で作成されました。細かな指示であっても、人々は神に従い幕屋を建設しました。
モーセは人々の神に対する従順さを喜び、人々を祝福します。
神の命じることは、人間には理解できないことがたくさんあります。幕屋建設においても神は本当に細かく指示されていて、人々にはどのような意味があるのかわからないほどです。それでも神に従い建設した人々の姿から、神への信頼と従順が伝わってきます。彼らの労力を思うと、神の聖さは人間の理解をはるかに超えていて、罪ある人間が近づくのは困難なのだと感じさせてくれます。
契約の箱
幕屋が組み立てられると、人々は神に命じられたとおりに器具や用具を運び入れていきます。幕屋の中は垂れ幕によって、聖所と至聖所の二つに分けられていました。奥にある部分は至聖所と呼ばれ、最も聖い場所で、祭司だけが入ることができました。そこに契約の箱が運び込まれました。
契約の箱は金で覆われていて、蓋は天使の羽で守られています。契約の箱は、神の存在を象徴していて、イスラエルの人々にとって最も神聖なもので、許可された人だけが近づき運ぶことができました。中には神が命じたとおり、十戒が記された契約の石の板、モーセの兄アロンの杖、人々の食糧のパンであるマナの入った壺、の三つが入れられました。

モーセが四十日間不在になったときに、人々は不安になり目に見える神、金の子牛を作りました。人間は目に見えないと不安になり、神から約束をいただいていても、信じることを止めてしまいそうになります。そんな罪にすぐに負けてしまう人々に、神は目に見える契約の箱を与えてくださいます。神は私たちの弱さを理解してくださる方です。
神の時を待つ
幕屋が完成すると、雲が幕屋を覆い神の栄光が現れます。神が臨在され雲で覆われている間は、モーセですらその幕屋に入ることができませんでした。雲が幕屋を離れ動くとき、人々はこの可動式テントである幕屋をたたんで、雲の後について移動しした。また、雲が幕屋を離れずにとどまる時は、人々もそこにとどまりました。夜には雲の上に火の柱が現れます。神は昼は雲の柱、夜は火の柱で人々を導きます。
雲の柱が動かないという合図に従うことも、簡単なことではありません。神を信じて待つことは、忍耐しなければならないこともあります。
高齢になっても子供を授からなかったアブラハムと妻サラでしたが、妻サラは神が子供を与えると言われた約束を待ちきれなくなりました。年齢のことを考えて諦めてしまい、サライの女奴隷ハガルによって二人は子供をもうけます。しかしそのことは神の祝福にはつながりませんでした。祝福はその後、神が二人に与えた子イサクによって現れていきます。

私たち一人ひとりも、神を信じて待つことが難しいことがあります。神は全てにおいて、私たち一人ひとりにベストな時を備えておられます。神の時を待てずに諦めて、自分で決断して行動に移してしまうのはとても危険なことです。神を信頼して神の時を待つなら、祝福を最大に受けることができます。日々神に祈り、信頼し、神と共に行動する者でありたいと思います。
ここまで読んでくださってありがとうございます。また次の記事でご一緒できることを楽しみにしています。皆さんに、神の守りと祝福があることをお祈りしています。