聖い神
前回は、レビ記をまとめました。神の働きをするために任命されたレビ部族への決まり、また全てのイスラエルの人々が神の民族として、正しく生活するための決まりがまとめられている箇所です。神の命じる六百十三の律法は、出エジプト、レビ記、民数記、またその次の申命記を通して命じられます。
神の聖いご性質を現す決まりは、人間には複雑で細かく、そして厳しいものです。聖書を読むと呆然とします。ですが、神の律法は神の聖さと、人間の罪深さを教えてくれます。

聖い神が、罪で汚れた人間を愛して祝してくださる恵みを知ることができれば、途方に暮れてしまうような書物も、恵みの書物だと理解することができます。
神の愛と恵みを受け取り、祝福された毎日を過ごしていきたいですね。
今日の神の恵みは、チョコレートマフィンとラテです。神はいつも私の喜ぶものを与えてくださいます。感謝です。
人口調査と祝福の言葉
イスラエルの人々がエジプトを脱出し二年が経った頃、神はモーセに、イスラエルの人々の全人口調査をするように命じます。それぞれの家系に従って男子全員を一人ひとり戸籍登録することと、兵役に就くことができる二十歳以上の男子を、部隊に登録するように命じます。
イスラエルの人々は、神の約束された土地に入る時、またその途中で、いろいろな部族との戦いを経験していきます。神はその戦いに備えて、軍隊をつくるように命じます。人々が神に従い調査を行った結果、各部族から登録された二十歳以上の男性の数は、合計六十万三千五百五十人になりました。

またレビ部族は、神の働きをする部族として任命されていたので、この登録から除外されますが、神に仕える祭司として、別に人口調査が行われ登録されます。また、神の働きの詳細や律法が追加で命じられます。
イスラエルの人々全体に対しての律法も追加されます。自分の人生を神に捧げると決意した際の決まりや、モーセの兄アロンの大祭司としての勤めとしてイスラエルの人々を祝福する事と、祭司が神に捧げる物の決まりなどが語られます。
祭司が人々を祝福する言葉はとても有名で、現在でも礼拝の中で、祝福を受ける際に読まれる箇所です。共に祝福の言葉を受けていきたいですね。是非教会の礼拝に参加していただけたらと思います。
「主があなたを祝福し、あなたを守られますように。主が御顔をあなたに照らし、あなたを恵まれますように。主が御顔をあなたに向け、あなたに平安を与えられますように。」
加えて神は、神が人々をエジプトの地から救出してくださったことを祝う祭り「過ぎ越しの祭り」に対しての律法を追加されます。
神の指示に従う
人々は、神が住まわれる天幕の雲が動き出したので、初めてシナイ山のふもとから旅立ちます。神は、人々が神に従って建てた幕屋を雲で覆い、その雲の動きを合図に、人々の旅を導きました。夜にはその雲は燃える火のように見え、昼も夜も神は人々を導きました。
雲が何日も動かない時でも、人々は神の言いつけを守り、旅立つことはせんでした。また雲が数日しかとどまらなくても、雲が動き出せば、人々も神に従い旅立ちました。昼でも夜でも雲が動くときは人々も旅立ち、一か月でも雲がとどまれば人々もとどまり、神に従いました。

神の動きに合わせるということは一見簡単そうに感じますが、実は難しい事だと思います。人は自分の考えや思い、また周りの人々に合わせて行動してしまいます。周りの人々がどんどん出世していく、家庭を持ち始めるなど変化する時、焦りを覚えてしまいます。ですが、神の命じる時でなければ祝福を逃してしまします。いつでも神に祈り、神の導きに従わなければなりません。
不満の人々と謙遜なモーセ

約束の地カナンに向かう途中、イスラエルの人々の中から不満が起きてきます。その不満は、エジプトを脱出した時に、イスラエルの人々と一緒になって逃げだしてきた他国民の人々から始まりました。
彼らは、飢えと渇きを訴えて、エジプトでの生活を美化し始めます。奴隷で苦しんでいたのに、肉や魚、果物、野菜が食べられた、この旅ではマナばかりで何もないと嘆きます。
マナは、神が人々のために与えた大切な食糧です。毎日過不足なく人々に与えられた、恵みのパンです。その神の与えた食べ物を侮った他国民の不満は、イスラエルの人々の中にも広がっていきます。
人々は成人男性だけで六十万人を超えていますから、単純に考えても女性子供を合わせれば、三倍以上の人々がいたはずです。彼らの不満がひろがると、モーセの手に負えなくなっていきます。あの勇者モーセですが、神に嘆き訴えます。
神はモーセに応えて、各部族からリーダーを選び出すように命じます。そしてそのリーダーたちに働きを分担させ、モーセの負担を軽くします。また肉が食べたいという人々の要求にこたえ、神はうずらを送ります。人々はその肉を口にするのですが、同時に神への不信の罪を犯したために、疫病の裁きを受けてしまいます。神は人々の願いに応えてくださる方ですが、神の与えてくださったものを侮り不満をぶつけることは控えるべきですね。

また人々の不満に加えて、モーセの実の姉ミリアムと、兄アロンまでもがモーセを非難します。イスラエル民であるモーセが、外国の女性を妻としている事を上げて、神に背いているというのです。人々の不満に疲れ果てているているモーセを、実の家族が支えるどころか攻撃しています。
これに対して、神は姉のミリアムを重い皮膚病で裁きます。モーセは非難されても、姉ミリアムのために、神に皮膚病を治してくださるようにお願いします。モーセの祈りのおかげで姉ミリアムは癒されるのですが、七日はこの皮膚病のために苦しまなければなりませんでした。
この箇所で、「モーセという人はこの地上のだれにもまさって謙遜であった。」と書かれています。人々に不満をぶつけられ、家族にまで非難されても、人々のために神に祈るモーセの姿から、真のリーダーのあり方を覚えます。謙遜でなければ務まらない役目です。
カナンの偵察
いよいよイスラエルの人々は、神が約束した土地カナンの前にたどり着きます。神はモーセに、各部族から代表者を選び、カナンの地を偵察させるように命じます。モーセは神に命じられた通り、神の働きをする祭司であるレビ部族を除いた、他の十一部族から十二人の代表者を選び出します。ちなみにヨセフ族から二名選ばれています。

モーセは十二人の偵察隊に次のように命じます。カナンの住人が強いのか弱いのか、また人数は多いのか少ないのか、良い土地なのか悪い土地なのか、町の様子、町に城壁があって警備が厚いのか薄いのか、豊作土地なのか不作の土地なのかなどを調べ、また土地の果物を取ってくるように命じます。
彼らは四十日カナンの地を偵察し、命じられたとおりに果物を取って帰ってきます。一房のぶどうを持って帰ってくるのですが、成人男性二人で棒に担いでくるほど、よく実った大きいものでした。その立派なぶどうを見せながら、彼らは偵察の結果報告をします。
土地は豊作の良い土地で、神の言われた通り、乳と蜜が流れる土地だと報告します。乳が豊かというのは、家畜が健康に育つ気候で牧草が豊かであることを意味しています。また密が豊かというのは、たくさんの草花があり、花粉から蜂蜜が取れることと、作物が豊かに実る土地であることです。その豊かさは、ぶどうの一房を男性二人で運んできたことからもわかります。
神の与える約束の土地とは、本当に祝福の良い土地なのです。神は約束を守られる誠実なお方で、イスラエルの人々を奴隷から解放し、恵み豊かな素晴らしい土地に導いてくださいます。

ですが、偵察に行った人々は、その土地の住民は体がとても大きく巨人のようで、イスラエル民族が虫けらのように見えるほどだったと逃げ腰です。町の城壁も強固で、とても太刀打ちできないと報告します。
神が認めるほどの良い土地ですから、他の民族から見てもぜひ手に入れたい土地です。いろいろな民族と戦い、勝ち取った強い人々が土地を占領していました。アマレク人という巨人種だけでなく、ヘト人、エブス人、アモリ人、カナン人などが、敵が侵入してくるのを警戒しながら住んでいました。戦闘の経験の少ないイスラエルの人々には、土地を攻め取るのは不可能に見えたようです。
取り乱す人々
逃げ腰になっている偵察隊ですが、十二人のうち、カレブとヨシュアという二人だけは違いました。カレブが怯えている人々をなだめて、必ず勝てるからカナンの地に入って占領しようと言います。しかし反対意見の十人は、カナンには巨人種がいて、イスラエル民族はみな食い尽くされてしまうだろうと、悪い噂を流します。
これを信じたイスラエルの人々は、このまま荒野で死んでしまうのだと絶望し、夜通し泣き叫びます。自分たちは剣で殺され、妻子は連れ去られると考えたのです。パニックになった人々は恐れ、再度モーセと兄アロンに不満をぶつけ、荒野で死ぬぐらいならエジプトに帰ると言い出します。神の約束の土地を目の前にして、イスラエルの人々は大混乱に陥ってしまいました。

偵察隊の中でも、神が約束を守って土地を与えてくださると心から信じていたカレブとヨシュアは、取り乱す人々をなだめます。必ず神は素晴らしい土地を与えくださるから、神に背いてはならない、神が共におられる、恐れてはならないと励まします。ですが人々は恐れのあまり聞く耳を持たずに、彼らに襲い掛かり殺そうとします。
この事態に、神は全てのイスラエルの人々の前に現れ、モーセを通して、神を信頼せず侮る者を、疫病にかからせて捨て去ると言われます。モーセは、イスラエルの人々のために、命がけで神に思い直してもらおうと弁護します。神が忍耐強く、愛と赦しの方であることを訴え、人々を赦してくださるように祈ると、神はモーセの祈りに応えて赦してくださいます。
神の裁き
モーセがかばってくださったので、人々は疫病の裁きを免れましたが、神は、神の奇跡を何度も目にしながらも、神を信頼せずに聞き従わなかった者には、約束のカナンの地に入ることはできないと言われます。ただ、「わたしの僕カレブは、別の思いを持ち、わたしに従い通したので、わたしは彼が見てきた土地に連れていく。彼の子孫はそれを継ぐ。」、「エフネの子カレブとヌンの子ヨシュアは別だ。わたしは彼らを導き入れ、彼らは、お前たちの拒んだ土地を知るようになる。」と言われます。

神を信頼せずにパニックになりエジプトに戻ろうと言い、ヨシュアとカレブを殺そうとした人々は、神の約束の土地を手にすることはできませんでした。
彼らは、約束の土地を目の前まで到着したのですが、迂回させられ四十年間荒野をさまようことになります。そして荒野で寿命を全うします。また十二人の偵察隊のうち、ヨシュアとカレブ以外の、神の土地を悪く言いふらした十人は、疫病の裁きを免れることはできずに、命を落としてしまいます。
約束の土地に入れないと聞いた人々は悲しみ悔やみますが、中には慌てて神に従おうと、約束の土地に入っていこうとする者たちがいました。それを見たモーセは、それは神に背いた事であり、成功しないと止めに入ります。ですが、彼らはその助言を聞かず約束の地に向かい、その土地にいたアマレク人、カナン人に剣で殺されてしまいます。
神を信頼する
神が、カレブとヨシュアを喜び認めたのは、二人の神を信じる心です。それに対して、その場しのぎで神に従おうと、約束の地に向かって命を落とした人々のしたことは、うわべだけの行いだけであり、神を愛し信頼する心はありませんでした。
神が約束した、家畜も作物もよく育つ良い土地であるとわかっていても、強い力を持つ巨大な民族を目にして、怯えて逃げようとする気持ちは理解できます。ですが人々はそれまでもエジプトで数々の災いの奇跡を見ていますし、海が二つに分かれるという奇跡も見ています。実際にその海の間を渡り、追ってくるエジプト軍を神が海に沈めてくださったことも体験しています。神に不可能はなく、必ず約束を守ってくださる真実な神であることを目にしているのです。神は、愛するイスラエルの人々が神を心から信頼することを望まれ、その信頼によって神の祝福を手にしてほしいと思っています。
イスラエルの人々の荒野の旅を通して、たくさんの事を学ぶことができます。イスラエルの人々のように、水や食べ物が不足しているように見える時、敵がはだかっていると思える時も、神を信じ従うことを教えてくれます。神が約束されたことを信じるならば、必ずその通りになります。
神の言葉を伝えてくれるモーセのような存在がいないと思うかもしれませんが、自分の罪を悔い改めて、神に従い神に祈るなら、必ず神は私たち一人ひとりにするべきことを教えてくれます。神に近づけば近づくほどに、神の声がわかるようになります。
いつでも神に近づき、神の声に従えるようになりたいと思います。共に神の祝福にあずかる者になれたら嬉しいですね。

ここまで読んでくださってありがとうございます。また次の記事でご一緒できることを楽しみにしています。皆さんに、神の守りと祝福があることをお祈りしています。