申命記②背負ってくださる神

神の愛を知る

前回は、イスラエルの新しい世代の人々が、祖父母の世代の出来事から、神の愛と人々の罪の学びを始めたところをまとめました。

また、神の祝福についても触れました。イスラエルの人々は荒野での旅の間でも増え広がっていて、モーセ一人では人々の問題を指導することが難しくなるほどでした。人々が増えるという祝福に伴って、その祝福を管理する知恵と力を持った人材が必要になります。祝福と一緒に、祝福を適切に管理することが求められます。

今回も引き続き、過去の歴史を通して、イスラエルの人々のみならず、私たちも神に従い、祝福を受ける方法を学んでいきたいと思います。

神の愛を理解することができれば、自然と神に従う気持ちがわいてくるはずです。

今日のお供は、ベーグルサンドと、ミネストローネです。一緒に美味しいものをいただきながら、神の愛を学んでまいりましょう。

恐ろしい荒れ野

モーセを通して、イスラエルの人々は過去の出来事を振り返ります。人々が神に命じられて、十戒を受けたシナイ山から、約束の土地カナンのに入る、カデシュ・バルネアに移動します。

シナイ山からカデシュに向かう道は、長年家族と荒野で生活をした経験を持つモーセですらも、「広くて恐ろしい荒れ野」と表現しています。

「荒れ野」は、強い日差しから身を避けられるような建物も木々もなく、乾燥し、水や緑の無い、岩や石がゴロゴロする、文字通り荒れた土地です。

いつ水や食料が手に入るかわからない、広く続く荒れた土地を、子供、女性、年配者を含め、二百万人以上のイスラエルの人々が、増え広がった家畜と共に旅をします。

荒野での生活を経験しているモーセだからこそ、その厳しさを知っていたのではないでしょうか。

人々は、荒野での旅を通して、神を信頼する訓練を受けていきます。水がない、食べ物がないと思える時に、人間には想像できないような方法で与えられるのです。人間が不安に思うような道でも、神が導くのなら、神が必ず責任を取って守ってくださいます。

また神が人々を荒野に導いた理由として、「ペリシテ街道」と呼ばれる道を避けさせていることもあります。「ペリシテ街道」は、エジプトからカナンの地までの近道なのですが、その街道に住むペリシテ人が戦いに慣れた強い民族であったため、神はイスラエルの人々に、ここを迂回させています。

神は、これまで奴隷として生活し、戦いの経験のないイスラエル人が、ペリシテ人を恐れてエジプトに帰ろうとすることを心配したためです。

この後、イスラエルの人々も、カナンの土地を征服するための備えとして、戦いの経験を積んでいきますが、ペリシテ人は戦闘力が高かったので、初戦の相手としては不向きだったようです。

神は見捨てない

水や食料の確保が難しい荒野での生活は、人々を不安にします。人々は、荒野に導いた神を信頼できずに、すぐに不平をつぶやきます。

現代で生活する私たちも同じです。景気や経済の変動にによって、物価が上昇することもありますし、異常気象によって作物が不足することもあります。また自分では解決できないと思うような、困難や問題が起こることもあるかもしれません。

神は、神を信じ、信頼して従う者を見捨てることはありません。イエスキリストを送ってくださった、唯一真の神を信じて従うなら、必ず神の助けを得られます。

神の訓練によって、神に信頼する強い心が造られていきます。イスラエルの人々はこれから約束の土地カナンを征服します。

神はモーセを通して、「恐れてはならない、おののいてはならない。」と励まします。カナンの土地の巨人たちに恐れることなく、神を信頼して攻め取っていかなければなりません。私たちも神に信頼して祝福を手にしていきたいですね。

なぜ恐れるのか

次はイスラエルンの人々がカデシュに到着したのち、偵察隊を編制し、カナンの地を探りに行ったところを振り返ります。

カナンの地は肥沃なとても良い土地で、偵察隊が採ってきた一房のブドウは、成人男性二人が竿にかけて担ぐほど大きかったのです。

ですがカナンの地に住み着いている人々は、非常に強く、体も大きく、戦いに慣れた人々でした。偵察隊のうちのほとんどが、その土地の住人を恐れて、エジプトに逃げ帰ろうとし、人々にカナンの地のことを悪く言いふらします。

挙句には、イスラエルの人々に対する神の深い愛を、神が人々を憎んでいて滅ぼそうとしていると言い出します。神を忘れ信頼せずにいると、人は恐れ取り乱すようになっていきます。

彼らの不信の罪を振り返ると、彼らは神から受けた訓練の成果が見られません。彼らはエジプトを脱出する時も数々の奇跡を体験していますし、荒野では神から水が与えられ、食糧としてマナが与えられてきました。

全て神の助けによって守られてきましたが、まるで神の存在を忘れています。

背負ってくださる父なる神

神を信頼できずに不信の罪を犯す人々に対して、モーセがなだめます。これまで神がしてくださったことを語り、「荒れ野でも、あなたたちがこのところに来るまでたどった旅の間中も、あなたの神、主は父が子を背負うように、あなたを背負ってくださったのを見た。」と、神の愛を諭します。

天にいる父なる神は、人間一人ひとりを神の子として、いつも気にかけて抱くようにして守っています。

いつも人々の先を歩き、安全を確認してから導いてくださいます。荒野では、昼は雲の柱、夜は火の柱で人々を誘導しました。

その神の愛に気づかずに、神を信頼しなかった人々のために、イスラエルの人々は、約束の地カナンには入れずに、荒野を四十年さまようことになります。その中でも、神を信頼し従い通したたカレブとヨシュアだけは別で、カナンの地に入ることを許可されます。

新しい世代の人々は、これらの過去の出来事を振り返りながら、罪を繰り返すことなく、神を信頼してカナンの土地を攻め取るように励まされます。

問題の解決

偵察隊が、カナンの土地の人々を恐れてしまったように、私たちも神が与えてくださる良い物と一緒に、何か障害をみ見て恐れてしまうかもしれません。ですが、神が与えると計画し約束してくださったことは、必ず手にすることができます。

イスラエルの人々がしなければならなかったこと、そして私たちがすることは、神を信頼し従うことです。恐れるような問題があるなら、神がその問題に対して解決を与えてくださると信じ、祈り求める事です。

神は、イスラエルの人々に、約束の土地カナンはすでに人々の物になっていると宣言しています。神がイスラエルの人々を憎んでいるから、カナンの土地の人々に滅ぼされるようにしていると言ったのは、とんでもなく間違った解釈です。

神を信じ冷静に

神を信じるなら、神は人間が本来持っていない力をも与えてくださり、祝福の物を与えてくださいます。神の力によって試練を乗り越え、祝福のものを手にすると、神の愛と力を知り、神への強い信仰心が築かれていきます。

どんな状況でも、冷静に神を信頼できるようになります。そして神を愛し、神に従い祝福を受けていく人に変えられていきます。

神を信頼せずにエジプトに逃げ帰ろうとした人々は、その罪を指摘されると、人々は急に悔い改めて、カナンの土地を攻め取ろうと戦いの準備を始めます。ですがそのことは、神の考えに背いた事でした。モーセを通して彼らは引き留められるのですが、聞く耳を持たずに戦いに出ていきます。神に逆らった彼らは、戦いに敗れ返ってきます。

神に背き罪を犯したとき、心から悔い改めるのではなく、その場を取り繕うような行動を神は受け入れません。罪を犯したと自覚したなら、神の前に祈り悔い改め、神の赦しを待つべきです。神に受け入れていただける、本当の悔い改めの心が起きた時に、神は私たち人間がするべきことを教えてくれるはずです。

良い物で満たしてくださる

どんなに人々が神に背いても、神のアブラハムを通して誓われた祝福の約束は変わりません。イスラエルの新しい人々を通して、人々は増え広がり、祝福されていきます。

言い換えると、人が神に背いて、自分の思うままに人生を歩んでも、神のご計画以外のことは祝福されずに、最後には途絶えてしまいます。

神に背く自分の罪を悔い改めて、神を愛し信じ従う道を選ぶなら、私たちは心穏やかに平和に暮らすことができ、神の与えてくださる良い物で満たされていきます。困難があっても解決する力が与えられます。

そして良い物が与えられるとき、その良い物を適切に管理するために、たくさんの教えがあります。神の命じることに素直に従い、神の良い物で満たされていきたいですね。

ここまで読んでくださってありがとうございます。また次の記事でご一緒できることを楽しみにしています。皆さんに、神の守りと祝福があることをお祈りしています。

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