申命記③平和をつくろう

再びカナンに向かう

前回は、イスラエルの偵察隊が、カナンの地を探りに行き、その地の住民を恐れて逃げ帰ろうとした罪を振り返ったところを中心にまとめました。同じ過ちを繰り返さないために、教訓として学んだところです。神が約束された事を信じ、命じることに従うことが祝福を受ける道です。

また、罪を犯したと自覚した時に、慌ててカナンの土地を攻め取ろうとした人々が裁きに合ったところから、安易に罪を取り繕う行為は受け入れられないことがわかります。その時その時、神が命じていること祈り確認することが大切です。

今回は、イスラエルの人々の四十年の放浪の旅も終わりに近づき、約束の土地カナンに近づく許可がおり、北に移動するように命じられたところからまとめたいと思います。

今日のおやつは、タリーズコーヒー&TEAのミルクレープヴァニーユ with T’s アイスです。

神のご褒美に感謝しながら、聖書を学んでいきたいと思います。

兄エサウの土地

イスラエルの人々は、カデシュ・バルネアでの偵察隊の罪のために、カナンの地に入れずに、Uターンさせられ、荒野をさまよい、ついにカナンの地の東側のセイル山のもとに滞在していました。

この辺りはエドムの土地と言われる、エサウの子孫の土地になります。エサウは、創世記に登場する人物で、アブラハムの息子イサクの子、双子の兄です。双子の兄エサウと、弟ヤコブには常に争いがあり、弟ヤコブは兄に命を狙われたために、叔父ラバンのもとに逃げて生活をしていました。

時が過ぎ、弟ヤコブは故郷に戻るのですが、その時にヤコブは神の天使と戦い、祝福を手にします。その際に改名されヤコブの名は、イスラエルとなります。今お話をしている、イスラエルの人々は、増え広がったヤコブの子孫です。

神がアブラハムを通して誓った祝福の約束は、息子イサク、孫のヤコブを通して受け継がれていきます。ヤコブの兄エサウの子孫はエドム人として、セイル山辺りのエドムの土地を所有し、居住しています。イスラエル民族と、エドム民族は従弟関係です。

神はセイル山の辺りで長い間遊牧生活をしていたイスラエルの人々に、ついにカナンの地に向かうために、移動を命じます。神は、人々を北に移動させ、カナンの地の東側の真横から攻め入るように導いていきます。

平和をつくる

神は、北に向かうことを命じると同時に、その通り道は、彼らの親族であるエサウの子孫、エドム人の領土内であることをあらかじめ伝え、注意を促します。

エサウの子孫エドム人は、イスラエルの人々の事を恐れており、二百万以上ものイスラエルの人々に、水や食料を奪われはしないかと心配していました。人が住んでいるとは言っても荒野ですから、水や食料が豊富にあるわけではありません。

神は、エドム人の住む環境を考えて、イスラエルの人々に、エドム人を脅かすようなことを避け、穏便に通過するように命じます。

聖書に、「平和をつくる者は幸いです。その人は神の子供と呼ばれるからです。」という言葉があります。神の言葉に従い、神の子供として人々に模範を示すことが、神を信じる者の使命です。平和を造ることは、神に喜ばれ祝福につながります。

神は、アブラハムの祝福を受け継ぐ孫として、イスラエルとなったヤコブを選んでいます。

ですが、兄であるエサウを見捨てるわけではなく、エサウにはエサウの分の土地を、分配して所有させています。

その土地をイスラエルの人々が荒らしたり、横取ったりしてはならないと命じます。食糧も水も、エドム人からお金を払って買うようにしなさいと命じます。

イスラエルの人々には、カナンという肥沃の土地が約束されています。また、モーセは、これまでの荒野の旅を振り返り、神がすべて必要な物を与えてくださったので、何も不足はなかっことを思い起こして、神を信頼しなさいと言われます。

神に従う

イスラエルの人々は、ここに到着する前に、シナイ山でモーセを通して十戒という命令を受けています。そこには、「盗んではならない。」、「隣人の家を欲してはならない。隣人の妻、男女の奴隷、牛、ろばなど隣人のものを一切欲してはならない。」と、命じられています。

神は、十戒を含めた六百十三の律法をイスラエルの人々に命じ、この律法を守り行うなら、幸せに暮らすことができると教えています。

十戒の教えの通りに、盗むことなく、欲しがることなく、神に従えば、争いを避けて平和を保つことができます。

これまでもそうであったように、必要な物はすべて神が与えてくださいます。神は、人々の手の業をすべて祝福したと書かれています。彼らが必要な物を手にするために行った労働の業を、神が祝福してくださたので、何一つ欠けたことがありませんでした。

作物や家畜を育てて成功していき、生活が守られます。神の命じることを守り、信頼することが祝福への道です。

この箇所は、民数記に記されているところなのですが、結局はイスラエルの人々の丁重な申し出を、エドムの王は拒否したため、彼らはその土地を迂回して、遠回りをして北に向かいます。

祝福ヘの近道

イスラエルと改名された弟ヤコブはかつて、兄エサウの長子の権利を欲しがり、計画的に権利を横取りしました。そのためにヤコブは兄エサウから恨みを受けて、命を狙われてしまいます。ヤコブは母リベカの兄である、叔父ラバンのもとに逃げ、そこで身を隠すように生活をしました。

もとから神は、兄エサウではなく、弟ヤコブを通して、アブラハムに誓った祝福の約束を果たすと言われています。

ヤコブは無駄に計画を立てて、長子の権利を横取りする必要はありませんでした。

ヤコブが神を信じて従い、権利が与えられる時を待っていれば、最短で祝福を得られたはずです。

ヤコブの子孫であるイスラエルの人々が、神を信頼しなかったためにカナンの地に入るという祝福の時が遅れているように、ヤコブも叔父ラバンのもとで時間を無駄にしています。いつも神のご計画を確認し、信じ従い、神の時を待つことが祝福の近道です。

神に従うと、兄弟間の無駄な争いも無くなります。神はそれぞれの家族の、兄弟姉妹間の争いを望みません。

人が持っている物はよく見えますが、欲しがったりせずに、自分に与えられている物に目を向けてみると、神の祝福に気が付くはずです。

神が与えてくださるものは、物やお金などの物質的な物だけでなく、才能や能力、時間や人格など、目に見えない者も含まれています。

また、まだ何も与えられていないと思うなら、神を信じて従い、与えられる時を待つことです。自分の判断で神のご計画に背いた行動をとってしまうなら、祝福の時は遅れてしまいます。

今が一番若い

だれでも、周りより遅れをとっていると思うと、焦りを感じます。また、人生の理想像が高い方は、人より良い物を手にしたいと思うかもしれません。

ですが、ヤコブがしたように、神のご計画を退け、自分の力で自分の望むものを手にしようとする行為は、無駄に終わります。時間も労力、それにかかる費用も浪費してしまいます。

聖書には、「あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ。」と書かれています。

若い時は体力もあり、自分の力を試してみたいと、思うままに突き進みがちです。ですが、若いころから私たちの造り主である神を信じて受け入れ、従うと、無駄が無くなります。祝福を最短、最大に手にすることができます。

よく聞く言葉ですが、全ての人が今が一番若いのです。今が祝福を最大にするチャンスです。神を信じて、神のご計画と命じることををいつも確認し、その日を、そしてその瞬間を、神に従って歩んでいただきたいと思います。共に祝福に満ちた人生を手にしていきたいですね。

ここまで読んでくださってありがとうございます。また次の記事でご一緒できることを楽しみにしています。皆さんに、神の守りと祝福があることをお祈りしています。

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