過去から学ぶ
今回も引き続き、イスラエルの人々がカナンの土地を攻め取る前の準備をしているところです。カナンの土地を攻め取る新しい世代は、祖父母の時代の過去の出来事から、同じ罪を犯さないこと、また神に従えば祝福を受けることを学んでいます。

今回は、神がイスラエルの祖父母の世代に、律法を授けたところを振り返りながら、神の祝福を共に学んでいきたいと思います。
今日のランチは、お気に入りのカフェのサーモンのサラダボウル、ミネストローネ付きです。
神からの恵みと励まし、知恵をいただきながら、聖書を学んでいきたいと思います。
律法の理由

以前イスラエルの人々が、モーセを通してシナイ山で十戒を含めた六百十三の律法を受けた時にも触れたのですが、神が律法を授けたのには理由があります。
イスラエルの人々は、神の祝福によって、エジプトにいた頃も、またエジプトを脱出した後も、人口が増え広がっていました。神の祝福と共に、その祝福を適切に管理する知恵が必要になります。
二百万以上もの人々が共に円満に生活するためには、適切なルールが必要でした。律法を受ける前は人々の問題を、モーセが一人で面談をし、神に解決法を祈り求め、その答えを人々に伝え指導していました。

神の祝福によって人々が増えたことはとても喜ばしいのですが、モーセ一人では担いきれなくなっていました。モーセは舅イテロの助言を得て、それぞれの部族から指導者を選び出し、モーセの役割を分断しました。
選ばれた指導者たちと共に、彼らがどのようにしてイスラエルの人々の問題を判断し、正しく導かなければならないかという律法が定められました。人間の判断では平等に正しく裁くことは難しいことです。
全知全能の神の知恵によって判断することによってのみ、秩序が保たれます。
イスラエルの良識

律法は他にも大切な目的があります。律法には、神への礼拝や仕事をする際の決まり事と、人々が共に幸せに暮らすための決まり事があります。神は、この律法を授けたときに、忠実に守り行うように命じます。
神は、神の律法に忠実に従うなら、イスラエルの人々は祝福を受けて、平和に生きることができると言われます。イスラエルの人々は、真の神を愛し、信頼し、命じることに応え、神と共に生きることが求められています。それによって、神の祝福を受け幸せになり、他の民族に神の力と祝福を伝えるのです。
また、神を礼拝する方法や、神の仕事をする際の決まり事を通して、その独特性から、偽物の神を信じる民との違いをはっきりと示すことができます。その律法はとても細かく命じられていますが、神に選ばれた民族としての特徴を現すためです。神からイスラエルの人々に与えられた技術、知恵、良識は、他民族を驚嘆させ、彼らのように神に祝福されたいという思いにさせます。

イスラエルの人々は、これからカナンの土地で神に選ばれた民族として、祝福された生活を送り、他民族を神に導く役割があります。
キリスト者の役割
イスラエルの人々だけではなく、自分の罪を認め、イエスキリストを信じたものは、みな同じ役割を受けています。聖書の教えに従い、神から祝福を受けて、まだ神の祝福を知らない人々を導かなければなりません。

神はこのような祝福の民族、人々が他にいるだろうかと言われます。イエスキリストを信じたものは、祝福を受ける義務のある、他に類を見ない幸いを受けているのです。
神は、この律法に何かを加えたり、また何かを取り除くことを禁じています。神の律法は、神が完全であるように、一つの間違いもありません。人間が都合よく変更しては、正しい律法にはならず、物事を調和させることができません。
また、完全である律法に何かをつけ足すならば、神の命じた範囲以外には祝福は及びません。人間にとって祝福どころか、ただ苦しみをもたらすものとなってしまいます。

これは私たちに与えられてる聖書も同じです。自分の都合に合わせて加えたり、取り除いたりしてはいけません。また、間違った解釈にも注意が必要です。神の命じることを明確にし、守り行うことが祝福につながります。
聖書は人間が書いたフィクションではなく、神の霊によって書かれた神聖なものです。神に選ばれた指導者から教えを受け、加えて祈りによって、神から正しい解釈を受けなければなりません。
教会の礼拝では、指導者による聖書の解き明かしがされています。是非礼拝に参加し、祝福を受けていただきたいと思います。
従う心

人が誰かに素直に従えるというのは、相手を尊敬し信用しているとき、愛情を感じているときです。
神はイスラエルの人々に、いきなり律法を命じたのではなく、律法の前に人々に驚くほどの愛を現してきました。
エジプトで苦しんでいる人々を、信じられないような奇跡で助け出し、何もない荒野では、水や食料、全て必要な物を与え、家畜を増やし、人々の子孫を増やしてくださいました。彼らに足りないものは何もなく、着物や履物も擦り切れることはなかったとあります。
神は人々が罪を犯すと、裁きを持って懲らしめることはありますが、神の愛は変わらず、人々を見捨てることはありません。

この神の愛を理解するなら、感謝を持って神の律法に従う気持ちになります。神はモーセを通して、これまで神が人々に行ってきた愛を語ったのちに、律法を守り行うことを命じます。
イエスキリストは、私たちの罪の身代わりとなって十字架で死なれました。私たち一人ひとりのために、命を捨てるほどに愛してくださっているからです。キリストの愛を理解できたなら、私たちも自然に神への従順な思いが湧いてきます。
キリストの愛
私たちに与えられた律法や聖書は、人間の罪を指摘します。聖書を読むなら、自分の罪の大きさを知り、絶望的になります。この罪の自覚によって、イエスキリストがどれほどの犠牲を払って、私たち一人ひとりを救ってくださったのかがわかります。
罪を知るほどに、キリストの愛が理解できます。キリストを受け入れ、キリストに従う者へと変えられていきます。是非キリストの愛に触れていただきたいと思います。

ここまで読んでくださってありがとうございます。また次の記事でご一緒できることを楽しみにしています。皆さんに、神の守りと祝福があることをお祈りしています。