律法に神の愛
前回は、神を学び神の愛を理解すると、自然と神を愛し従うようになり、偽物の神への偶像礼拝から守られることを学びました。本物を知ると、すぐに偽物が見分けられるようになります。神を学ぶと、偽物の誘惑を避けて、神の祝福を受けることができます。
イスラエルの人々は、これから神が約束してくださった素晴らしく良い土地、カナンに入る準備をしています。人々はカナンの土地で、彼らが神に祝福された民族だと示すために、神の命じる生き方に従うように命じられています。

私たちも、神が人々に命じた律法から、神の愛と、祝福を受けるために必要な生き方を知ることができます。
今回も引き続き、神が命じた律法を学びたいと思います。
今日は、サラダ&厚切りバタートーストとコーヒーのセットです。神の恵みに感謝します。
特別な神の民族
約束の土地カナンは、偽物の神を礼拝する人々が住む町です。彼らはそれぞれの神に従って様々に、故人に喪に服する方法を持っていました。故人を悼むときに、自分の身を傷つけたり、額を剃り上げる習慣があったようです。

神はイスラエルの人々に、カナンの土地の人々の偽物の儀式を真似することを禁じます。人間は何かを真似するうちに、どんどん影響を受けていきます。神は人々が偶像礼拝に入り込まないように、律法を命じます。
続けてイスラエルの人々は、食物に関する決まりが命じられました。陸上の哺乳類、鳥類、水中の魚類に至るまで、細かく食べてよい物と、食べてはならない物が命じられます。
食べる物に制限を設けることは、他民族に、イスラエルが特別な民族であるという強い印象を与えます。現在でも敬虔なユダヤの人々は、この食べ物の決まりを守っています。 律法は無効になった現代ですが、彼らが忠実に神に従う姿から、神への強い愛が伝わってきます。
神への捧げものは祝福に
続けて、農業や家畜を養うことによって得た生活の糧の中から、十分の一を神に捧げることが命じられます。収穫した作物の十分の一に加えて、家畜に生まれた初子を捧げることが義務付けられます。
神に捧げることは、神を信じていない人々にとっては、貯蓄が減り生活が苦しくなるという印象を受け、信仰や宗教に対して、否定的な感情を起こすものかもしれません。

ですが、神を信頼して収入の十分の一を捧げる者を、神は祝福し生活を守ると約束されます。そしてこの祝福によって、他民族に神の存在と奇跡をを示すことができます。
この律法が無効になった現在でも、十一献金と呼ばれる、収入の十分の一を捧げることを勧める教会はたくさんあります。教会の運営費でもありますが、神の祝福の源と信じられています。そして捧げた方々は、実際に生活が守られ祝福されるという、神の奇跡を体験しています。
神に捧げることは失うことではなく、かえって祝福を得ることであり、また人々に神を伝えることになります。
分け与える祝福
イスラエルの人々は毎年、収穫した作物の十分の一と家畜を神に捧げるために、神の命じる幕屋に持っていきます。幕屋から遠く離れた地域に住んでいる人々は、作物や家畜を幕屋まで運ぶことが困難なため、一度売ってお金に換え、現地に到着したのちにそこで捧げものを買います。
そこで彼らは、家族と奴隷たちとともに宴会を開いて、神が祝福してくださったことを喜びながら、食事をします。また神は、十分の一の捧げものを、神のために仕事をする祭司と呼ばれる人々に分けるように命じます。祭司職の人々は、他のイスラエルの人々と違って土地を与えられていないため、作物の収穫がありません。

さらに神は、貧しい人々、町にいる外国人、孤児、働き手である夫を亡くした未亡人、身寄りのない人々にも、食料や食事をを提供するように命じます。
神は、イスラエルの人々を平等に扱い祝福されるお方です。神は、裕福になった人々が傲慢になることなく、神から受けた祝福を分け与えることを喜ばれます。
神は、食べ物や生活に困っている人々が、食べて満ち足りるほど、分け与えなさいと言われます。
そしてこれらのことを守り行うならば、彼らの全ての仕事を祝福して、豊かにしてくださると約束されます。
助け合う心
神は、誰一人として見捨てることはありません。そして神のその心と一つになって、困窮している人々を愛し助け合う者を祝福してくださいます。作物が豊かに実ること、家畜が健康に育ち増え広がること、貯蓄が増えること、祝福は全て神が与えてくださるものです。
豊かになった者が神の恵みを感謝して、貧しい人々に分け与えることを神は求めています。神が全ての人を愛しているように、私たちが分け隔てなく人々を愛することを神は喜ばれます。
神は、神の律法を守り行う者を祝福すると、イスラエルの人々に約束されました。しかしイスラエルの人々だけでなく罪のある全ての人間に、完全で聖く正しい神の性質を現している律法を守り行うことはできません。
罪があるために祝福を受けられない人間のために、イエスキリストが身代わりとなって罪の裁きを受けて下さいました。キリストは十字架で死なれ、墓に葬られ、3日目によみがえり永遠の命を手にされました。
キリストが私たちの罪を贖ってくださったので、神がモーセをとおして命じた律法は無効になりました。イエスキリストを、自分の罪の贖いをしてくださった救い主として、信じて受け入れる者はだれでも救われるようにしてくださったのです。信じる者には永遠の命を得て、神の国に入ることができるのです。

神と人を愛する
イエスキリストによって、律法は無効になりましたが、キリストを信じた人々には、新しくキリストに命じられていることがあります。

第一の掟として「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。」、第二の掟として「隣人を自分のように愛しなさい。」です。
神を愛することは、神を信頼して神の命じることに従うこと、隣人を愛することは、分け隔てなく人々を愛し助け合うことです。これは神がモーセを通して与えた十戒の内容と同じです。
永遠に変わらない神は、イスラエルの人々に神と人を愛することを求めたように、現代の私たち一人ひとりにも同じことを求めています。
神は、神を愛し、神が愛するように人々を愛する者を喜ばれます。神が喜ばれる時、私たちは祝福を受けます。神の喜びが私たち一人ひとりの中にあふれ、その喜びは周りの人々にも流れていきます。神は全ての人を祝福したいと思っているのです。
永遠の命と祝福
神は、私たちが自分の持っている罪を認め、悔い改めイエスキリストを信じ受け入れることを待っています。そして信頼して神に捧げること、また困っている人々を助け愛することを求めています。ともに神を信じて従い、永遠の命と祝福された毎日を手にしていきたいですね。

ここまで読んでくださってありがとうございます。また次の記事でご一緒できることを楽しみにしています。皆さんに、神の守りと祝福があることをお祈りしています。

