子ろばとしての使命

仕事を辞めたら人生好転

仕事を辞めて半年、現在フリーランスとして勉強中のtokotokoです。3年ほど前から体調を崩しながらも仕事を続けていたのですが、ついに出勤が難しくなりキャリアチェンジに踏み切りました。

自分にフリーランスができるのだろうかと不安だったのですが、やってみると自分にはぴったりだということがわかりました。とっても快適です。今までの邪魔が入るよう毎日は何だったんだろうと思うほどです。それは仕事上だけではなく、プライベートでもすべてが好転しているのです。公私ともに人間関係も新しくなり、理解者や協力者に恵まれるようになりました。周りの人々や物事が、今の生活を応援してくれているような感じです。この転機をとおして、人にはそれぞれ定まった生き方があるというのは本当なんだなと強く思うようになりました。

生き方が違っていると、「正しい道に導くために強制変更させられるような出来事が起きる。」という体験談を、よく目にしたり耳にしたりしますが、私の体調不良は、生き方を変える時が来ているというサインだったと思います。この転機を通して正しい生き方、人生の目的、使命について考えてみました。

ぜひコーヒーとスイーツのブレイクタイムに、気軽にのぞいていただけたら幸いです。ちなみに私の今日のスイーツは、スターバックスの秋の新作、マロンパウンドケーキとザンビアというコーヒーです。可愛いバリスタさんが、チョコソースをハート形にアレンジしてくれました。嬉しいです。癖のない飲みやすいコーヒーと、秋らしいマロンパウンドケーキがマッチしていておいしいです。今まで仕事に忙殺されていた私の心と体にしみわたる、至福の時間です。

子ろばになる

強制変更を通って人生の方向転換をし、それによって以前よりも良い人生を手にした、という方々がたくさんいらっしゃるようです。
起業して成功したとか、以前からやってみたかったという分野の仕事で、自分らしくのびのびと活躍している方々です。そしてその方々は新しい生き方を、自分の本来の生き方だったのだと確信しているようです。

私の場合はまだ途上にありますが、フリーランスという形で働くこと、そしてメインは「子ろばになる」ということでした。仕事を辞める時に、私の中に響いたたことばがありました。それは「主がお入用なのです。」という聖書の言葉です。

キリストはすべての人間の罪の身代わりとなって十字架にかかって罰をうけてくださいました。その十字架刑を受けるためにエルサレムという町に入っていくのですが、その時に乗っていた子ろばが借りだされるときに、「主がお入用なのです。」と言って連れ出されました。

この言葉が響いたとき、私はこれから子ろばのようににキリストを運ぶ、つまり聖書の言葉を運ぶのだと思いました。私は毎日聖書を読んで、正しい生き方を学びながら、神の愛を受け取っています。この聖書というのは世界中で一番読まれている本であり、本当に神の愛が詰まっているのです。この神の愛の言葉をお伝えしていきたいと思います。

選び出されたモーセ

気負わずに記事を書き始めようと思ったのは、創世記のモーセの姿を通して学んだからです。ご存知の方も多いと思いますが、モーセという人物はイスラエルの民をエジプトから連れ出した聖書の中でも有名な人物です。

モーセは神から、エジプトで奴隷となって苦しんでいるイスラエル民を助け出すリーダーとしての使命を与えられました。
使命を受けた時、モーセは自信がなく、「私にはできません。他の人をリーダーにしてください。」と何度も断り続けるのです。それでも神はモーセに必要な協力者、力を与えてこの偉大な役割を全うさせられました。彼らがエジプト軍に紅海の海岸まで追い詰められたとき、モーセが海を割ってイスラエルの民とともに歩いて渡るシーンはとても有名ですよね。

柔和(謙遜)と忠実

モーセの役割は聖書の中でもとりわけ壮大で重要なものです。その重要な役割にモーセが選ばれた理由を考える時に、モーセにあって他の人にはない特徴が聖書に書かれていいました。

それは、「モーセという人は、地の上のだれにもまさって柔和(謙遜)であった。」と、「彼はわたしの全家を通じて忠実な者。」です。

神から使命を与えられ、その使命を行うために必要なことは有能だとか知識があるとかではなく、柔和(謙遜)であることと、神に忠実であることであることです。

聖書でいう柔和(謙遜)を簡単にまとめると、傲慢になったり高ぶたりせずに、慎み深くあることです。聖書には自分の力や能力を優れているとか誇るのではなく、かえって他の人の方が優れていると思いなさいとあります。

そして神に忠実であること。自分の自我に捕らわれず、神を信頼し従うことです。モーセのイスラエル民を助けるという使命はモーセ自らの思いではなく、神の目的ですから、神に従えなければいけません。自我が強く、傲慢だと従うことはできません。

モーセは神の使命を行うのに必要な条件を満たしていました。
自分には能力も知恵もない、継続する自信がない、時間がない、お金がないなどと思っていることは神にとっては問題ではありません。ただ柔和(謙遜)で忠実であればいいのです。あとは心配せずに神を信頼するだけでいいのです。

神は「私は口下手だから。」とか、「イスラエルの民に信用されていないから。」と弱気になるモーセに、協力者として兄のアロンを与え、人々がモーセを神の遣いだと信じるように、人間にはできない奇跡をおこなう力を与えられました。生活も守られました。移動中の家としてテントが与えられ、日々食物が与えられ、また荒れた土地での生活でも着ている服や履物は擦り切れることはなかった、と書かれています。

神の道なら必要なものはすべて与えられる

神が与えた使命を行う時に必要なものは、全て神が与えてくださいます。また必要な力は、生まれたときから与えられている素質や才能に加え、自分で気が付かないうちに身についている事もあります。

モーセは神の使命を受ける直前の40年の間、荒野で羊飼いとして生活をしていました。その荒れた土地での生活を通して、家族と家畜を守り導く方法を学び、体力もつき、土地勘も得ていたはずです。モーセは気づいていませんでしたが、実はエジプトから安住の土地にたどり着くまでの道のりを旅する訓練がすでにされていました。

イエスキリストを乗せた子ろばも同じです。子ろばというのは日ごろから人や荷物を運んでいますから、キリストを乗せて運ぶことは特別なことではなかったはずです。

私もモーセと同じように、私にはできない、やりたくないという思いはありましたが、毎日聖書を読み、子供たちや家族、友人にその話をしているので、その通りにやってみようと考えられるようになりました。

使命から生きる意味と希望が見つかる

私は前職についているとき、いつも仕事に追われ、あわただしく業務をこなしていました。それでも満足のいく結果は得られずに、本当にこの生き方でいいのだろうかと、先の見えない不安と虚しさを感じていました。

そんな中、聖書に出てくる人々で神の使命に従った人々は祝福を受ける、ということは知っていましたので、私も神からの使命を見つけ出し、その通りに歩み祝福された生き方をしたいと思っていました。体調まで崩してしまったとき、本当に私の生きる道はこれでいいのかと、神に祈りました。
それからしばらくして、自分では決断できなかった退職が、自然な流れで実現していきました。本当にスムーズでした。

だれでも、生きている意味、役割が分からない、何をしても虚しい、この生き方は正しいのかと迷うことがあると思います。しかし聖書にはその解決があります。神が私たち人間を造った通りの正しい生き方をし、それぞれに与えられた使命に従うなら祝福を受けます。その祝福は健康や経済、物質的な物だけでなく、心の平安、生きる喜びも含まれています。
実際聖書には、アブラハムが祝福されるのは、「アブラハムが神の声に聞き従い、神の戒めと命令とおきてとおしえを守ったからである。」と書かれています。
私は仕事を辞めるとき、収入はどうなるんだろうと少し不安もありましたが、今では喜びと感謝を感じながら仕事をし、毎日のびのびと過ごしています。経済も守られ、体調も少しずつ回復しています。

また聖書には、神を第一にすれば、他の物は全て与えられると書かれています。実際にこの体験をしたクリスチャンはたくさんいらっしゃいます。

自分の望む安定した生活や好きなものを失い絶望の中にあるとき、神を信頼してやるべきことに集中していると、お金や仕事、住む家、健康、そして望んでいた結婚など、必要な物や欲しい物を手に入れたという方が本当にたくさんいらっしゃるのです。中には、仕事を失ったときに信用まで失ったという方が、名誉挽回し元の職場にさらによい役職で復帰されたという方もいらっしゃいます。神を第一に生きると、必要な物に加えさらに良いものを手にしているのです。

私は、神から使命をいただいたこと、その使命に従うことが、本当に大きな喜びになっています。そして今後どんな展開になるのか、わくわくしています。そしてこの記事を読む皆さんにも同じ体験をしていただきたいと思っています。私のイエスキリストを運ぶ使命を通して、それぞれに与えられた使命と、生きる意味と希望を見つけていただけたら幸いです。そして神の祝福と愛、救いを手にしていただきたいと思っています。

ここまで読んでくださってありがとうございます。また次の記事でご一緒しましょう。
皆さんに、神の祝福があることをお祈りしています。

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