神のご計画
今回は、イサクとリベカの間に生まれた双子、兄エサウと、弟ヤコブのお話になります。イサクのところでも少しふれていますが、その部分を合わせてまとめていきます。

その前に、私の今日のランチを紹介したいと思います。お気に入りのカフェのランチプレートです。キッシュに、チリコンカン、かぼちゃのポタージュスープ、スイーツとしてココアのパウンドケーキがセットになっています。ケーキのトップにはホワイトチョコレートクリームが乗っています。私は美味しいものを食べると、幸せな気持ちになり、神へ感謝の思いで満たされます。皆さんも美味しいもので満たされて、神の恵みを感じながら聖書を味わっていただきたいと思います。
兄エサウと弟ヤコブは、母リベカの胎内にいる時から不仲であり、互いに押しのけあっている状態でした。その様子から、母リベカは心配になり、どうしたらいいのかと、神に祈り尋ねます。
神はリベカの祈りに対し、この二人の様子を通して、神のご計画を教えてくださいます。神のご計画は、それぞれから増えた子孫は、別々に分かれていき二つの国民になる事、また弟ヤコブの子孫の国民の方が強くなり、兄の国民の方が仕えるようになる事です。二人は母の胎の中で主権争いをしています。
横取りヤコブとうかつなエサウ
最初に生まれてきた兄は、全身が赤く毛深かったことから、その意味を持つ「エサウ」と名付けられます。あとから生まれてきた弟は、兄を押しのけて先に生まれようと、兄のかかとを掴んで出てきました。この性格から、「ヤコブ」と名付けられます。一部では、この名は「人を出し抜く」とか、「足を引っ張る」などの意味が含まれているとされています。簡単に成長した二人の特徴をまとめておきたいと思います。

兄エサウ
毛深い。巧みな狩猟者。アウトドア派、活発。肉料理が好きな父イサクに愛される。
弟ヤコブ
肌がなめらか。穏やかで天幕(テント)で過ごすインドア派。一緒の時間が長かったのか、母リベカに愛される。
弟ヤコブは生まれた時の様子からわかるように、兄エサウの「長子の権利」を狙っていました。この「長子の権利」には特権があります。財産を二倍相続できる、すべての兄弟の中のリーダーとなり、父親に代わって一家の主となれること、そして家族を神の祝福に導く大切な役割があったと言われています。

二人が成長したある日、兄エサウはお腹を空かせて狩りから帰ってきました。それを狙って弟ヤコブは煮物を料理して待っていました。兄エサウは、弟ヤコブにその煮物を食べさせてほしいと頼みます。そこですかさず弟ヤコブは、兄エサウに交換条件を出します。兄の長男の権利を譲ってくれるなら煮物をあげるというのです。
兄エサウはお腹がすいていたために、この弟ヤコブの策略に気づかすに、「長子の権利」を簡単に譲ってしまいます。弟ヤコブの横取りする行為も悪いのですが、聖書では兄エサウの方にも問題があると書かれています。
兄エサウは「お腹がすいて死にそうだ。長子の権利になんの意味があるだろう。」と言って煮物でお腹を満たすのですが、「長子の権利」を軽く見て食べ物と引き換えた行為は、俗悪だと書かれています。それほどに神の与えた権利は重要であり、その価値をしっかりと認識し管理することが求められています。特に、目先の欲求を満たすために、神の恵みを簡単に放棄するのは罪なのです。
イサクの祝福
時は流れ、イサクは年を重ね視力も弱くなってきたころ、自分が神から受けた祝福と一家の主としての権利を、長男のエサウに譲り渡そうとします。イサクは狩猟者である兄エサウに、イサクの好物である鹿肉の料理を作って持ってくるように命じます。この共に食事をするのは、祝福の継承の儀式の一つであったそうです。
ところが、この話をイサクの妻、エサウの母であるリベカが立ち聞きしていました。リベカは、双子の息子たちのうち、弟ヤコブを愛しており、また神が弟ヤコブの方を祝福するご計画を知っていたので、イサクとエサウの邪魔をします。

母リベカは、こっそりと弟ヤコブに、兄エサウのふりをして、父イサクにご馳走をもっていくように仕向けます。リベカは子ヤギを使って、イサクの好みのご馳走を創り、ヤコブに毛深い兄エサウを装うために、動物の毛皮をかぶせます。
このリベカの提案に、ヤコブも尻込みをするのですが、リベカに促されるまま、父イサクのところに行きます。視力の衰えているイサクは、兄エサウを装う弟ヤコブに、違和感を覚えながらも食事をとり、ヤコブに長男の権利と祝福を与えてしまいます。
イサクの与えた祝福の内容は、神によって祝福され作物が豊かに実る事、多くの国々を支配すること、兄弟や親類中の上に立つリーダーとなる事、ヤコブを憎むものを憎み、祝福するものを祝福するなどの、特別な権利がありました。財産を二倍多く相続できることのほかに、お金では買えない神の祝福が含まれています。

ヤコブはこの「長子の権利」の価値を知っていて、兄エサウから横取りしています。横取りは良くないのですが、ヤコブはお金などのこの世の物だけでなく、神から与えられる目に見えない祝福の価値をよく知っていました。
目先の事や、世の中で価値のある、地位や名誉や財産に心を奪われるのではなく、神の祝福の大きさに目を向けなくてはなりません。
イエスキリストの姿は私たちの目には見えませんが、キリストが自分の罪のために十字架にかかられたことを信じ受け入れるなら、体がなくなっても命が滅びることはありません。永遠の命を手にすることができます。もちろん地位、名誉、財産も良い物です。ですが地上で生きている間は価値がありますが、人生が終わった後は役には立ちません。人の命を保証するものはイエスキリストだけです。
キリストのくださる権利を受け取るのも、受け取らずに放棄するのも一人ひとりの選択です。ヤコブのように神の権利の価値を知り、手にしていただきたいと思います。

そしてキリストを信じて永遠の命を手にしたら、軽々しく手放してはいけません。兄エサウは神からの権利を軽んじてしまいましたが、その行為は俗悪と呼ばれるほどに罪なことです。神の権利を適切に管理する義務があることを心にとめてください。
ヤコブのはしご
祝福を受けたヤコブが出ていくと、兄エサウが父イサクに言われた通りに、鹿肉の料理を持って入ってきます。そこで二人は、弟ヤコブが祝福を横取りしたことを知り、愕然とします。
父イサクは、愛する兄エサウの方を祝福しようとする、自分の思いが上手くいかなかったことで、弟ヤコブを祝福するという、神のご計画を変えることはできない事を学びます。
一方で兄エサウは弟ヤコブに激しく怒りを燃やし、弟ヤコブに殺意を持つようになります。それを察した母リベカは、弟ヤコブをかくまって、リベカの兄ラバンのもとに逃げるように促します。ヤコブは母リベカに言われた通りに、ほとぼりが冷めるまで母の故郷に身を寄せることにします。

ヤコブは母リベカの故郷ハランに向かい旅立つと、途中で日が暮れたので、その場で野宿をします。近くにあった、手ごろな石を枕にして眠ります。するとヤコブは、不思議な夢を見ました。
地上から天まで届くはしごがたっていて、そのはしごを、天使たちが上り下りしている夢でした。そして気づくと、神がヤコブのそばに立っておられ、ヤコブの祖父アブラハムに誓った約束を語ります。
神は、ヤコブが横になっている土地を、ヤコブと子孫に与える事、子孫が世界中に増えひろがる事、ヤコブと子孫は祝福を受ける事を約束してくださいます。神がアブラハムに誓った約束は、息子イサク、孫ヤコブを通して実現します。
神の約束

神の約束の言葉を受けながらも、今のヤコブは、兄エサウに命を狙われ逃げまどっている状態です。ヤコブにはとても信じられない言葉だったと思います。そんな不安でたまらないヤコブに対して神は、ヤコブを守り、時が来れば故郷に連れ帰る、約束の物をすべて渡すまで必ずそばにいる、と強く語られます。神は、決してヤコブを決して見捨てません。
いつ兄が追いかけてきて襲ってくるかわからない中、またこれから見知らぬ土地で過ごす不安を感じているヤコブにとって、この神の語り掛けは、この上なく心強いものだったと思います。
夢から覚めたヤコブは、神がヤコブのそばにいてくださることがわかると、自分が枕にしていた石を柱として立てて、思いの限り神に感謝を捧げます。「神様、もし主がこの旅で私を助け、守ってくださり、衣食にも不自由させず、 無事に父の家に帰してくださって、私の神様となってくださるなら、 この記念の柱を礼拝の場所とし、神様から頂いた物すべての十分の一を必ずおささげします。」と、ヤコブは神に宣言し、その場を「ベテル」と名付けます。ベテルとは神の家という意味です。

ここでも、祝福を受ける人物は、神を礼拝していることがわかります。ぜひ教会の礼拝に参加していただき、ともに祝福に与っていただきたいと思います。
祈りの答え

ヤコブの見た天に届くはしごは、地上にいるヤコブと、天の神との交流の架け橋です。この架け橋を上り下りしている天使たちは、神の指示に従い、いつも神と人のために働いています。
聖書には、あなたが祈り始めると、神は天使を使って答えを届ける、と書かれている箇所があります。あなたを愛しているから、天使をおくってくださるのです。また神の答えの幻やしるしを受けとったなら、意味をしっかり悟りなさいと書かれています。
私たちの神への祈りはいつも届いています。神の答えは、すぐに返ってくることもあれば、時間がかかることもあります。また答えが届いていても、人が気が付かない事もあります。諦めずに祈り続けるなら、必ず神の答えが見つかるはずです。
神はいつもそばに

この時のヤコブは、孤独で明日の命もわからない絶望的な状況でしたが、いつも神がともにいてくださることを知りました。兄の権利を横取りした自分の罪を悔やみ、自己嫌悪に陥っているヤコブを、神は見捨てずに導いています。
神は遠い天だけに存在しているのではなく、いつもヤコブのそばにいたように、私たちのそばにいてくださいます。自分の罪を悔い改めるなら、神は赦してくださり、必ず私たちを守り導いてくださいます。
イサク、リベカ、兄エサウ、弟ヤコブの一家は神のご計画に背いたために、神の祝福を受け取るまでに遠回りをしました。ヤコブは無駄に罪を犯し、逃亡して時間を浪費しました。神が変えないと決めた計画は決して変わりませんから、神に従うことが祝福の近道です。

ぜひ聖書から神に喜ばれる生き方を学び、生き生きとした毎日を手にしていただきたいと思います。
ここまで読んでくださってありがとうございます。また次の記事でご一緒できることを楽しみにしています。皆さんに、神の守りと祝福があることをお祈りしています。