申命記⑥モーセの功績

神は見捨てない

前回は、イスラエルの人々が、神の力によってバシャンの王オグに勝利し、広大な良い土地を手に入れたところをまとめました。

神は、アブラハムに約束した土地に加えて、ヘシュボンの王シホンの土地と、バシャンの王オグの土地を土地を与えてくださいました。神が人々に祝福として与えたその土地は、作物や牧草、薬草が豊かに採れる良い土地でした。

そのため、家畜も健康に良く育つ土地です。また、これからカナンの土地を攻め取るにあたって、陣地として所有しておくには最適の土地でした。

神に不信の罪を犯して、四十年荒野をさまよってきた人々ですが、神は見捨てずに彼らに必要な物に加えて、祝福を与えてくださる方です。

今回は、その土地がイスラエルの人々に分け与えられるところから始めたいと思います。

今日のおやつは、スターバックスのブルーベリーレアチーズケーキと、コーヒーケニアです。感謝して神からの祝福をいただきながら、聖書を学んでいきたいと思います。

祝福の牧草地

今イスラエルの人々は、カナンの土地を攻め取るにあたって、モーセを通して神から過去の出来事を学んでいるところです。過去の過ちを繰り返さないように、またカナンの土地に入った後に、神に忠実に従い祝福の生活を送るためです。

イスラエルの人々は、神が与えてくださった勝利によって、これから攻め取るカナンの土地の、東側から北東を勝ち取りました。大まかにいうと、ガリラヤ湖と死海(塩の海)をつないで流れている、ヨルダン川の東から北東にかけてです。

この土地を見て、イスラエルの十二部族の内の、ルベン族、ガド族が、その土地を所有したいとモーセに申し出ます。

彼らは荒野を生活する中でたくさんの家畜を持つようになり、放牧民族として生活していました。作物や牧草が豊かに実る広大なこの土地を見て、自分たちが飼っている家畜にぴったりだと思ったのです。

彼らの申し出を聞いたモーセは、古い世代のイスラエルの人々が、カナンの土地の強そうな住人をみて恐れてエジプトに逃げ帰ろうとしたことを思い出します。彼らもまた、カナンの土地を恐れて、手に入れた牧草地に留まろうとしているのではないか心配します。

ですがルベン族、ガド族、家畜を持つマナセの半部族は、ちゃんとカナンの土地の戦いには参加すると約束します。

誠実な神

モーセは、彼らがカナンの土地の戦いに参加すると約束した時のことを振り返り、彼らの気持ちが変わっていないかどうかを確認します。同意を得ると、モーセは彼らが戦いに参加し、全部族が土地を勝ち取った後に、牧草地に戻り安住できると約束します。

神に誓ったことを果たすことはとても大切です。神は私たち一人ひとりに誠実な方であり、約束を必ず守ってくださるからです。私たち一人ひとりもまた神に誠実であるほどに、神との関係が強固になり、祝福につながります。

また、神だけでなく、仲間に対しても誠実であることは、良好な関係を築くために大切です。自分の祝福だけを追い求めるのではなく、仲間に配慮することを神は望んでいます。ルベン族、ガド族、マナセの半部族は、全民族がカナンの土地を勝ち取るまで共に戦います。

後にイエスキリストが誕生すると、人々に「隣人を愛しなさい。」と教えます。もちろん現在の私たちにも向けられている言葉です。

神は、罪が入り込んだ人間が、自己中心的に物事を考える性質をご存知です。人が罪に負けて、自分の利益や身の安全だけを考えてしまわないようにとの教えです。

自分に罪があることを自覚し、常に神の教えに心を向けることで、罪から遠ざかり、神の祝福に近づくことができます。

彼らが土地を与えられるという祝福の時こそ誠実であったように、私たちも日頃から、また祝福の時こそ、周りの人々に目を向けられるようにいたいものですね。

モーセからヨシュアへ

いよいよ、カナンの土地を攻め取る、戦いのときが近づいてきました。モーセは、ヨシュアをカナンの地にイスラエルの人々を導くリーダーとして励まします。これまで、神の力によってヘシュボンの王シホン、バシャンの王オグに大勝利を収めてきたことを思い起こさせ、神が勝利させくださることを信じ、恐れずにカナンに踏み出すように力づけます。

同時にモーセは神に、彼自身もカナンの土地に入りたいと申し出ます。モーセは以前、カデシュ・バルネアという場所で、神に対して罪を犯したために、カナンの土地には入れないと宣告されていました。

荒野で水がないと不満を言い続ける人々に対し、モーセの忍耐が限界に達し、神の命じる事とは違うことを行ってしまったためです。

神は、岩に命じるだけで水が出ると言われたのですが、モーセは感情的になり、岩を杖で二度もたたいてしまいます。

モーセには、神に命じられたことを行うことによって、神の力と聖さを証明する責任がありました。神の命じる事以外の行為によって流れ出た水では、神を証することにはならず、神に背く罪になります。

モーセは一度はカナンに入れないことを受け止めたはずです。ですが、人々と一緒に四十年荒野を旅し、戦い、苦楽を共にし、ようやくカナンの土地の目の前に到着したのですから、仲間と一緒にカナンの土地に入りたいと思うのも当然だと思います。

モーセの功績

神はモーセの祈りを叶えてはくださいませんでしたが、モーセにピスガという山の頂に登る事を命じ、イスラエルの人々が手にする素晴らしい、カナンの土地を見渡せるようにします。

死海の北東にあるネボ山のピスガの頂上からは、カナンの豊かな土地を見ることができます。小麦や大麦などの農作物、ブドウやイチジクなどの果物、オリーブ畑、蜂蜜のもとになる草花などが豊かに実る祝福の土地です。

モーセはカナンに入ることはありませんでしたが、この良い土地に人々をここまで導いたのはモーセであり、モーセの功績ともいえる光景でした。神と共にこの豊かな土地を見下ろすモーセは、まるで表彰台にでも立っているかのようです。

神は罪を犯した者を罰したり裁くことはありますが、神の愛は変わらず、約束した祝福を取り消すことはされません。

イスラエルの人々にも、エドムの土地、モアブの土地、アンモン人の土地のように与えられない物がありましたが、素晴らしいカナンの地が与えられます。モーセもまた、神の国で、カナン以上の素晴らしい祝福が与えられたはずです。

良い物を良い時に

自分の罪を悔い改めて、イエスキリストが罪の身代わりになって死なれたことを受け入れ、信じ従う者は、神の子供とされます。キリストを信じる者は、子供として父なる神になんでも祈り求めることができます。

聖書には、「わたしの名によって願うことは、何でもかなえてあげよう。」と書かれています。神は子供となった者の祈りを聞いてくださいますが、何でも思い通りにしてくださるという意味ではありません。

「何事でも神の御心に適うことをわたしたちが願うなら、神は聞き入れてくださる。」とあるように、神の思いと同じ心を持った祈りは聞かれるということです。良いお方である聖い神の心と一致するような祈りが聞かれるのです。

祈りは、聞かれないこともありますし、長い事待たされることもあります。神は私たち一人ひとりに良い事をしてくださいます。最良の時に、最良の物を与えてくださいます。

どれだけ待たされても、神が祈りに応えてくださらないと嘆くのではなく、全てのことを知っている神が最善のことをしてくださると信じ、感謝して神に従うことです。神を信じ、祝福を受けていきたいですね。

ここまで読んでくださってありがとうございます。また次の記事でご一緒できることを楽しみにしています。皆さんに、神の守りと祝福があることをお祈りしています。

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