申命記⑬十戒 隣人を愛する

健全な関係

前回は、人を愛することに関する戒めの初め、親との関係を学びました。神は人の初めての関係である親子の関係を良好に保つことを望んでいます。子供が両親を敬うことを命じているのですが、もちろん両親も子供の尊厳を守り、正しく接する必要があります。

神は両親を敬わない者は滅びの裁きが下ると言われます。子が親を敬い従うことは、神の祝福を得るために欠かせないことです。

今回は、十戒の人を愛することに関する戒めの、残りの五つを学びたいと思います。

今日はブランチに、ハワイアンカフェのエッグベネディクトをいただきました。神の恵みに感謝して、神の言葉を伝えていきたいと思います。

家庭の祝福

Ⅵ殺してはならない
当たり前のように思いますが、神が与えた一人ひとりの命を奪ってはなりません。神は一人ひとりを神の最高傑作として造っています。また一人ひとりに計画と目的を持っています。神の計画の完成のためにそれぞれが欠かせない存在です。神の所有の一人ひとりの命を奪ってはなりません。また実際に命を奪っていなくても、憎しみのあまり相手の死を願ってしまうことも神は禁じています。

Ⅶ姦淫してはならない
神は男女の関係を、神の前に結婚を誓約することで祝福してくださいます。結婚の前に男女の関係になったり、結婚後に他の異性と関係を持つことを厳しく禁じています。また肉体的なことだけでなく、異性を性的な対象として見ることも罪になります。神の前に心と体を清く保ち、神に従って正しく家庭を築くことを教えています。

前回の戒め「Ⅴあなたの父と母を敬え。」でもふれたのですが、神はそれぞれの家族が健全であることを望んでいます。一つひとつの家庭が神に従い祝福を受けていれば、地域全体、社会全体に祝福が広がっていきます。神はこの地に祝福を広げたいと思っているのです。

裏切りによって配偶者を傷つけ、家庭を崩壊させることを神は厳しく罰します。「結婚はすべての人に尊ばれるべきであり、夫婦の関係を汚してはなりません。神は、みだらな者や姦淫をする者を裁かれるのです。」とある通りです。

正直は一生の宝

Ⅷ盗んではならない
神は、一人一ひとりに必要な物を与えています。盗むということは、神が一人ひとりに許可して与えた所有物を侵害することです。また、神が必要な物を与えてくださることを信頼できない心が、盗みにつながります。神への不信の罪には裁きが下ります。

神は人が生きていくうえで必要な物だけでなく、神がそれぞれに立てた計画のために必要な物を与えています。私有財産もあれば、能力や環境、権利や立場もあります。自分にない物を持っているのを見ると羨ましく思うこともありますが、神が与えたこれらの所有の尊厳を妨害してはいけません。また自分に与えられている物に目を向けて、感謝することが大切です。

Ⅸあなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。
誠実な神は、人々が不誠実に発言することを禁じています。公の場で偽証することだけでなく、人の根も葉もない悪い噂を流すことも罪です。真実を曲げた証言はその人の名誉を傷つけ、その人生を大きく変えてしまうこともあります。神が一人ひとりに立てている人生の計画の邪魔をしてはなりません。

聖書には、「罪のない者の血を流してはならない。」と書かれています。神は罪を犯していない者に罪を着せることを、厳しく罰せられます。神が真実で誠実なお方であるように、私たちも神に倣い正直であるほどに祝福を受けます。

強欲は滅びに

Ⅹあなたの隣人の家を欲しがってはならない。
この戒めでは家と表現していますが、隣人が持っている家や所有物、能力や地位や名誉まですべてを含めています。神は人間が持っている貪欲の罪をご存知です。人はつい人の物を羨ましく思いますし、自分の持ち物では不足や不満を感じやすいものです。

神に信頼し、神が全て必要な物を与えてくださること、一人ひとりに神の素晴らしい物が与えることを信じられない、そのような不信の罪が貪欲を引き起こします。またすでに神が与えている良い物に気づいていないこともあります。

聖書に、「貪欲を捨て去りなさい。貪欲は偶像礼拝にほかならない。」とあります。十戒のⅠ、とⅡで、神は神以外の物を頼りにしたり、心を奪われることを禁じています。貪欲はまさに神以外の物に捕らわれている状態です。神は偶像礼拝の罪は、滅びに至ると厳しく禁じています。

聖書に、神を第一にして生きると、すべての物は与えられると書かれています。神のご計画に従い生きていると、神の言葉通り必要な物が与えられます。

神に従っていると、必要が満たされるだけでなく、与えられている物の良さに気づくようになり、持っている物に満足するようになります。自然と貪欲から解放され、神に祝福されていることを実感するようになります。

これに反して神の道から外れていると、心が満たされず、他人の物を羨むようになります。無理して手に入れても満足しないため、ますます欲が膨らんでいきます。心の状態を確認すると、神との状態がわかります。

神は心を見る

神の命じることは全てにおいて、心の在り方を指しています。「人はうわべを見るが、主は心をみる。」と聖書に書かれているとおりです。表面的に取り繕っても、神は心の隅々を見抜いています。

神が命じる十戒は、罪ある人間が到底従えない厳しいものです。神の祝福を受けたくて、神に従おうとすればするほど、従うことのできない自分の罪を自覚することになります。

この罪の絶望から解放してくださったのがイエスキリストです。イエスキリストが誕生し、十字架で罪を贖ってくださったことで、神がモーセに与えた律法は破棄されました。

神の律法に従うことではなく、イエスキリストを罪の滅びからの救い主として受け入れるなら、神の滅びの裁きを免れ、永遠の命をいただくことができます。

イエスキリストが罪の贖いをしてくださった今、効力の無いモーセの律法を学ぶ必要があるのかと思わるかもしれません。モーセの律法が無効になると、イエスキリストの愛の律法に切り替わますが、キリストの律法においても、神を愛し隣人を愛するという戒めは変わりません。

神から祝福を受けて幸せに暮らすためには、キリストの愛の律法に従う必要があります。イスラエルの人々と同様に、私たちも律法を学び従い、神の祝福を全世界に伝える使命があります。

罪からの解放

神の律法によって自分の罪の大きさに失望すると、裁きを受けて下さったキリスト以外に救いはないと知ることができます。

神は全ての人がこの罪の贖いを受け取り、神のもとに戻ることを待っておられます。そして神を愛し、神の命じることに従い祝福された人生を送ることを望んでいます。

罪ある人間が完全な神のようになることはできませんが、神は私たちを清め罪を取り除き、神に従えるようにしてくださいます。

神の命じることを学び、自分の罪を悔い改め、神に清めていただきましょう。神は罪を認め悔いる者を喜んで受け入れてくれます。神は私たちを祝福しようと待っています。

ここまで読んでくださってありがとうございます。また次の記事でご一緒できることを楽しみにしています。皆さんに、神の守りと祝福があることをお祈りしています。

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