申命記㉒初めて生まれた家畜

苦しみからの解放

前回は、神がイスラエルの人々に、負債の免除と、奴隷の解放を命じたところを学びました。神は、イスラエルの人々が困っている人々に手を差し伸べ、共に助け合うことを望んでいます。神は人々が等しく祝福を受けて、幸せになってほしいと願っています。

誤って神に罪を犯し、祝福を逃してしまった者は、負債を抱えたり、奴隷として労働を提供するほかなくなってしまいます。そのような人々を見捨てるのではなく、救済方法として免除や解放の年が定められています。

この神の恵みの律法に従って、免除や解放を行った者には、神の祝福が約束されています。貸主や奴隷の主人は損失を被るように見えますが、神に従った者の報いは大きい事を学びました。

今回は、神が命じる律法の続き、神に捧げる物について学びたいと思います。

今日のランチは、モスバーガーの期間限定アボカドバーガーにクラムチャウダーとポテトのセットです。皆さんも美味しいものと一緒に、神の愛の言葉を受け取ってください。

家畜の長男

神は、イスラエルの人々に、家畜の牛や羊に最初に生まれた雄の初子は、神に捧げるように命じます。また、この最初に生まれた雄の家畜、わかりやすく言うと家畜の長男を、仕事に使ってはならず、毛を刈ってもいけないと命じます。家畜の初子を、自分の収入のために用いることを禁じています。

神は、人々が手にしている物、手にした物は全て神から与えられた物だと、心に留めるように命じています。この律法では特に、命は神が与えた物であることを強調しています。

家畜の初子を捧げることで、全ての命は神の物であり、人間が自分の私利私欲のために用いてはならないことを教えています。人々は、命は全て神が支配しており神の物であることを知り、尊く扱うことを学ばなければなりません。

初子を神に捧げると、初子による労働力、収入が減るように思われることですが、神は従った者の生活を保障し祝福すると約束します。

裁きを免れたイスラエル

神に捧げる牛、羊、山羊の初子は、神が命じる祭りの際に、屠って家族で食べるように命じられます。神が命じる祭りは年に3回あり、その祭りごとに家畜の初子を幕屋まで連れていき、宴会を開き初子ををみんなで食します。

神はこれらの初子の捧げものを、家族全体で食事として楽しみつつ、神の存在と愛を分かち合い、同時に子供たちに神を伝えていく手段としています。

モーセがイスラエルの祖父母の世代をエジプトから連れ出そうとした際に、エジプトの王が頑なに人々を解放しなかったために、神はエジプトに様々な災いを下されました。

一番最後の災いが最も辛いもので、エジプト全ての人の長子と、家畜の初子の命が奪われるという物でした。

エジプトへの裁きの時に、神はイスラエルの人々には、家の門柱と鴨居に家畜の血を塗ることを命じました。その血が塗られている家の人間の長子、家畜の初子は命が守られました。

神は、家の戸口に血を塗る行為を、「神に従う」というしるしとみなし、裁きを下さずに通り過ぎ、長子と初子の命を救ってくださったのです。

神の恵みを伝えるお祭り

神はこのエジプトでの奇跡と恵みを、日常生活だけでなく、祭りを通して、代々に渡ってイスラエルの子孫に伝えるように命じています。

神が、血が塗られたイスラエルの家には裁きを下さず、通り過ぎたことを象徴して、「過ぎ越しの祭り」と呼ばれている祭りは、毎年行われる3大祭りのひとつで一番大きく重要な物です。

祭りの宴会で、家畜の初子を神に捧げ、子供たちと共に食する時に、神がイスラエルの人々を災いから守り、エジプトから助け出してくださったことを、親から子へ伝えることができます。

家畜の初子を捧げる慣習を、子孫が代々受け継ぎ行い、イスラエルの人々が永遠に神を愛し、従い、祝福を受け続けることを神は望んでいます。

エジプトでの災いを通して神の裁きの恐ろしさを学び、同時にイスラエルの人々に対する選びと愛を受け止め、人々は神の愛に応えることが望まれます。神に従えば祝福があり、背けば裁きが下ることを、人々はしっかりと理解する必要があります。

祭りでも隣人を愛する

また神は、神に捧げた初子を屠った際に、食べきれずに残った分は、神の仕事をする祭司職の人々と、貧しい人々に分けあたえ、彼らの生活を支えることを命じます。

前回の、負債の免除と、奴隷の解放の律法と同じように、神は全てのイスラエルの人々を平等に祝福したいと思っています。

農地がなく作物の収穫がない祭司職の人々に食事を分け与え、また貧しい人々に分け与え、ともに神の恵みを喜ぶことを神は望んでいます。

十戒の中でも、イエスキリストの言葉でも、隣人を愛することが命じられています。いつでも変わることのない、愛の神が命じることは同じです。人々を愛し、助け合うことが神に喜ばれ、祝福を受ける事です。

神が受け取らない物

さらに神は、捧げる家畜の初子に欠陥があってはならないと命じます。足や目、他に大きな傷のある者は神への捧げものとしてはいけないということです。欠陥のある家畜は、祭りの宴会で神に捧げるのではなく、狩りで得た動物同様に、町の中で人々と日常の食糧になります。

神に捧げる事の出来ない欠陥のある物とは、罪のある人間のことも含めて現したものです。アダムとエバから入り込んだ罪を持った全ての人間は、神にとっては受け入れる事の出来ない、欠陥のある家畜と同じです。

罪ある人間が神に罪を赦していただいて、神の国に戻るためには、欠陥となる罪を取り除かなくてはなりません。

この罪を取り除く方法はただ一つしかありません。私たち一人ひとりの罪の裁きの身代わりとなって、十字架刑を受けて下さったイエスキリストを信じ受け入れることです。

イエスキリストを信じ受け入れた者だけが、罪を赦され裁きを免れることができ、神のもとに帰ることができるのです。

神は待っている

神は、イエスキリストが十字架の上で死なれて流した血の重みを、全ての人が受け止めて、神に立ちかえることを待っています。

イエスキリストが流された十字架の血潮によってのみ、人の罪が洗い流され、罪が赦されて、神の裁きを免れることができるのです。

申命記では、エジプト脱出を経験していないイスラエルの子供や孫の世代が、律法を通して神の愛を学んでいます。神の愛を理解した者は、神を信頼し従い祝福を受けます。

私たち一人ひとりもまた、エジプト脱出の経験をしていませんが、聖書を通して神の愛を学び、罪を悔い改めて神に立ちかえることができます。イエスキリストの十字架の贖いを受け入れて、罪の赦しを受けるなら、神の裁きを免れることができます。

ぜひ神の赦しと愛、永遠の命を手にしていただきたいと思います。

ここまで読んでくださってありがとうございます。また次の記事でご一緒できることを楽しみにしています。皆さんに、神の守りと祝福があることをお祈りしています。

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