見えないけれど
今年もイースターがやってきます。イエスキリストの復活を祝うイースターですが、キリストの復活は、誕生と同じくらい、偉大な神の御業です。イエスキリストが全人類の罪のために十字架の上で死なれた後、甦られたので人間は永遠の命を得ることができるのです。

キリストは死なれて墓の中に3日葬られた後、甦って天に上られました。このイエスキリストを信じる者には、永遠の命が与えられ、神の国に入ることができます。
今年は、たとえキリストの甦った姿を見ていなくてもキリストを信じることができる、そして永遠の命をいただくことができるという、素晴らしい恵みを学びたいと思います。
今年のイースターランチは、ちょっとお野菜で隠れていますが、卵が印象的なガレットでお祝いしたいと思います。キリストの甦りに心から感謝します。
マグダラのマリアの愛
キリストが死なれ墓に葬られたのは金曜日です。翌日の土曜日は安息日と言って、イスラエルの人々はあらゆる仕事や労働が禁じられていました。そのため、イエスキリストを信じる仲間たちは、墓に行きキリストを弔うことも、悼むこともできませんでした。

安息日が明けた日曜日の朝早くに、イエスキリストを慕う仲間たちが集まってきます。最初に到着したのは、マグダラのマリアと呼ばれる、イエスに悪霊を追い出してもらい、人生が回復した女性です。
彼女は7つの悪霊に付かれ苦しんでいたところを助け出されています。そのために、彼女のキリストに対する感謝と愛は大きく、心からキリストを愛するようになった一人だと考えられています。そのマリアが誰よりも先に墓に到着します。
マグダラのマリアが墓の前に来ると、墓の入り口をふさいでいた、女性一人では動かせないほど大きな墓石はどけられていて、墓の入り口が開いていました。
開かれた墓
大きく重い墓の石は、マグダラのマリアが到着する前に、神の力によって動かされていました。
当時のイスラエルは、世界的な経済大国であるローマ帝国に支配されていました。そのローマ軍によってキリストの体は墓に収められ、入り口は厳重に大きな石で封じられていました。ローマ兵たちがキリストの遺体が盗まれないようにと、昼夜墓の番をしていたのですが、大きな地震と共に神の天使たちが現れ、大きな墓石が動かされたのです。

この大きな墓石の上に天使二人が座ると、これを見たローマ兵たちは、死人のようになったと表現されるほど驚きます。彼らは我に返ると、祭司長と呼ばれる宗教的指導者たちの所に報告に行きます。
上司のローマ総督に墓が暴かれたことが知られると、番兵たちは任務を果たせなかった罪で、死刑になってしまいます。彼らはローマ政府ではなく、祭司長たちに相談に行ったのです。
マグダラのマリアが到着した時は、番兵は去り天使もなく、ただ墓が開いている状態です。まだ夜が明けてない暗い中だったためか、マリアは墓の中に入り確かめないうちに、キリストの体が盗まれたと思い込んでしまいます。マリアすぐにキリストの弟子であるペテロとヨハネに報告しようと、町に戻ります。
キリストの預言
マリアが行ってしまうと、続いて、別のイエスキリストを愛する女性たちが墓に到着します。彼女たちが墓の中に入ると、キリストの体はありません。彼女たちはわけがわからなくなって、途方に暮れてしまいます。

そこに二人の神の天使が現れます。そのうちの一人が、彼女たちに、キリストは死んだ後に甦る、と言われていた言葉を思い出すように言います。
イエスキリストは十字架で死なれる前に、死んだ後に甦って、ガリラヤ地方に向かうと、弟子や仲間たちに話していました。女性たちは天使によって、その言葉を思い出し、キリストの弟子たちにこの出来事を報告に行きます。
マグダラのマリアに続いてきた、別の女性たちから受けた墓の報告を聞いた弟子たちですが、ほとんどの弟子がそれでもまだ信じられずにいました。ただペテロとヨハネという二人の弟子だけは、最初のマリアの言葉を聞いて、すでに墓に向かっていました。
不思議な亜麻布
墓には、若くて足の速いヨハネが先に着いたのですが、ヨハネは墓の中に入ることはなく、入り口から中を覗き込みます。ヨハネは、墓の中にキリストの遺体を包む亜麻布が中にあるのを目にします。

ヨハネに遅れて到着したペテロが、ためらわずに墓の中に入ると、キリストの身体はなくなっているのですが、遺体を包む亜麻布と、頭に巻く布が、距離を開けて置かれています。
不思議なことに、キリストの体がないにも関わらず、布は体を巻いていた形のままです。
中に入るのをためらっていたヨハネも、ペテロに続いて墓の中に入り、この不思議な亜麻布を目にします。
人間であり神である唯一の存在キリストは、全てが人間を超えています。キリストが人間の生態を超越して、男性を知らない乙女マリアの胎内に宿り誕生されたように、本来起こりえない死から復活されます。キリストは、亜麻布に触れることも解くこともなく、神の御業によって、すり抜けるように甦られます。
神の奇跡は、見る者聞く者に、神の存在を確信させます。キリストの誕生が家畜小屋であり人々が出入りできたこと、甦りの墓が開かれ人々が中を見ることができたなど、神の御業は人の目に触れ、それを見た人々によって伝えられていくように計画されています。
信じたヨハネ
この不思議な光景を見て、ヨハネは以前からイエスが語っていたように、キリストが甦られたことを悟ります。ヨハネは、どの弟子よりも先に、キリストが何度も教えていた復活のことを理解します。
ペテロは後で、他の弟子たちと一緒に、甦ったキリストにガリラヤで会ったときに復活を悟りますから、この時はまだ理解していません。キリストの体を見ることなく、キリストが以前から教えていた復活の言葉を思い出し、信じた弟子はヨハネだけです。

当時、イエスキリストと共に行動していた弟子や仲間たちは、イエスと直接会って言葉をいただき、十字架刑を目撃し、墓に行き、甦られたキリストに会うことができました。
現代の私たちは、キリストの誕生を見ることも、弟子たちのように直接キリストに会うことも、また墓から甦り復活されてた姿を見ることもできません。ただ聖書に書かれている、キリストの生涯を読み、また聞くだけです。
ヨハネは、死から復活したキリストの姿を見る前に、キリストの言葉を信じることができました。神は私たち一人ひとりに、ヨハネのように、見ていないことを信じることが幸いだと言われます。
見えないものを信じる
聖書には、「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」、「さて、信仰とは、望んでいる事がらを確認し、まだ見ていない事実を確認することである。」と書かれています。

聖書は、この世界と人類の創造とこれまでの歴史が書かれているだけでなく、この先起こる出来事についても書かれています。
今現在私たちは、過去の記録も、まだ起きていない未来のことも目にすることはできませんが、ヨハネのように、見ていないことを信じることを、神は喜ばれます。神は、神を信頼し、神の言葉を信じる者を祝福してくださいます。
神の言葉を信じる者は後に、ヨハネのように、現実になった神の言葉を証言する者になることができます。目撃し、体験した神の言葉を人々に伝え神を証明する、祝福された一人となれるのです。
偽りのない神の言葉
神は私たちに、目にしていなくても、イエスキリストの誕生と、十字架の死、死から復活して天に上られた事を信じ、神に従い待ち望むことを求めています。そして、まだ見ていない神の国が実在することを信じ、神の国に希望を持って生きることを望んでいます。

神の言葉には偽りがないと、聖書の過去の歴史は証明しています。そして、初めの世界の創造から世の終わりまで、神の御業は、罪人である私たち人間を滅びから救ってくださる、愛であることがわかります。
本当に聖書を読むだけで、イエスの甦った姿を見ていなくても信じたヨハネのようになれるのでしょうか。
理解する力

神は、ヨハネにキリストの復活を理解する力を与えたように、私たちにも理解する力を与えてくださいます。
聖書は、「あなた方のうち、知恵に不足している者があれば、その人は、とがめもせずに惜しみなくすべての人に与える神に、願い求めるがよい。そうすれば、あたえられるだろう。」と教えています。
自分に知恵があると思わずに、謙遜になって神に知恵を求める者に、神は理解する力を与えてくださいます。
聖書は、罪ある人間を正しく導いてくれる神の書物です。神に知恵を求め聖書を読むなら、神は応えてくだり、理解し信じる力を与えてくださいます。信じた者はキリストの誕生、十字架、復活を信じて、永遠の命を得ることができます。ともに神を学び、愛と神の国を受け取っていただけたらと思います。

ここまで読んでくださってありがとうございます。また次の記事でご一緒できることを楽しみにしています。皆さんに、神の守りと祝福があることをお祈りしています。

