Easter 生きているキリスト

春のお祝いイースター

春になって暖かくなってくると、街はカラフルに装ったウサギや、可愛らしくペイントされた卵のアイテムで、楽しそうな雰囲気になってきますね。年々日本でも、イースターが春のイベントとして定着してきました。クリスマスよりも大切と言われることもあるイースターは、キリスト教圏の国では、より盛大にお祝いされるようです。中には、イースターの前後が休日になる国もあるそうです。

今回はイースターの意味、クリスマスと並んで大切にされている理由などについて、聖書をとおして学んでいきたいと思います。

イースターの卵つながりで、今日は大好きなエッグベネディクトを選びました。エッグベネディクトが美しいだけでなく、ラテアートが完璧に仕上がっていて感動しました。イースターをお祝いする気持ちを、神が喜んでくださっているように感じ、とても嬉しくなりました。

皆さんも、是非イースターをお祝いして、神の祝福を受けてください。

キリストの誕生

イースターは、イエスキリストが死からよみがえった、復活したことをお祝いする日です。毎年、「春分の日の後の、最初の満月の次の日曜日」とされていますから、その年ごとに日にちが変わります。どのカレンダーにも、記載されるようになるとわかりやすいですね。

キリストが復活する、死からよみがえるということは、一度は死なれたのです。クリスチャンでもなくても、キリストが十字架刑で死なれたことはご存知かと思います。どうして死ななければならなかったのか、そして生き返ったことが、私たちにどのように関係しているかを、一緒に確認してみたいと思います。

キリストの誕生にさかのぼってみたいと思います。キリストは、結婚前のまだ男性を知らない乙女マリアから生まれます。夫婦の愛情から母体に宿ったのではなく、神の力によって宿った唯一の命です。人間と同じ肉体、感情を持ちながらも、神であることを現しています。

キリストの誕生はとても質素なものです。綺麗に整った環境で生まれたのではなく、無計画とも思えるように、旅先の家畜小屋で生まれます。神でありながらも、人々の注目を集めるような派手な生まれ方ではなく、むしろ人目を避けて静かに誕生した、謙遜なお方です。

キリストは、すべての人間が持つ罪の罰を受けてくださるために、生まれました。すべての人間が、アダムとエバから受け継ぐ罪を持っています。アダムとエバは、神が禁じていた木の実を食べたために、罪の性質が入り込んでしまいました。罪により神との完璧な関係が壊れてしまい、神の楽園から追放されてしまいます。

この罪があると、神の楽園に戻ることができずに、魂は永遠に苦しまなければなりません。アダムとエバの子孫であるすべての人間は、この罪があるために、神の楽園の外にいます。楽園の外は、いずれ恐ろしい場所になっていくと記されています。神は人間を、神と幸せに暮らすために愛情を込めて造ったのであり、苦しめ滅ぼすためではありません。神はご自分の楽園に戻ってきてほしいと心から願っています。

神は、罪ある人間を、神の楽園に戻ることができるようにと、罪の罰を代わりに受けるイエスキリストを地上に誕生させたのです。このキリストが自分の罪の身代わりとなってくれたことを信じた者の命は、神のもとに帰ることができ、永遠に安息の中で守られるのです。

盛大に祝うイースター

イエスキリストは、神であり罪がないにもかかわらず、十字架刑を受けてくださり、死なれます。イエスが十字架刑にかけられるために捕まったとき、それまでイエスの弟子としてともに行動していた人々のほとんどは、自分の身も危ないと逃げてしまいます。また、助けたくてもどうすることもできず、遠くから見守るだけの人々もいました。

イエスが死なれると、弟子の1人がやってきて遺体を引き取り、丁寧に亜麻布で包み、墓に納め、戸口を大きな石で塞ぎます。

翌日、イエスを罪人に仕立て十字架刑にかけた宗教リーダーたちは、イエスの体を、彼の弟子たちが盗み出すのではないのかと心配になりました。

イエスキリストは、以前からご自分の死を予告しており、死後3日後によみがえることも同時に伝えていたからです。本当にキリストがよみがえってしまっては、宗教リーダーたちのたくらみが無駄になってしまいます。彼らは、イエスが全人類の救い主である神と認めずに、十字架で殺し、神の法律を守る自分たちこそが、国全体を支配するべきだと信じていたのです。彼らは、遺体が弟子たちの手に渡って、何らかの不思議な事が起きてはいけないと、墓の前に見張りを立てて警戒します。

週が明けると、イエスの死を悼み哀しむマリアという二人の女性が、様子を見に墓にやってきます。するとその時、大きな地震が起こり、神の天使が現れます。天使は、墓をふさいでいた大きな石を転がし、その上に座ります。姿は稲妻のように光り、雪のように白い衣をまとっています。墓の見張り人たちは、非常に恐れて、死人のようになり動くことができません。

天使は二人のマリアに、イエスは予告通りに復活したから、お墓にはいないと告げます。そして、逃げてしまった弟子たちに、生き返ったイエスに会うためにガリラヤという町に行くように伝えるように言います。

この不思議な出来事に恐れながらも二人は、天使に言われた通りに、弟子たちのところに向かいます。するとその途中で、生き返ったイエスが二人の前に現れ、声を掛けます。二人は驚きながらも、生きているイエスを見て喜び、ひれ伏して礼をします。

イエスキリストは死んで終わりではなく、人間一人ひとりに永遠の命を分け与えるために、よみがえられました。永遠の命のためには、誕生と死だけでなく、死からよみがえる復活が必要です。これがクリスマスだけではなく、イースターを盛大に祝う理由です。

よみがえったキリスト

二人のマリアから、イエスキリストが生き返ったことを聞いた弟子たちは、言われた通りにガリラヤの町の山に向かいます。そこで、本当によみがえって生きているイエスと対面します。イエスは弟子たちに、すべての人々にイエスの死と復活、イエスの行った数々の奇跡を言い伝えなさいと言われます。

イエスキリストを信じて受け入れた、クリスチャンと呼ばれる人々が、熱心に聖書やイエスキリストの話をするのは、このためです。キリストが十字架刑で死なれ、よみがえられたのは、地上にいる全ての人のためです。全ての人に、神のもとに戻れる道があることを、平等に伝える必要があるのです。神は全ての人に、イエスキリストを信じ、神の楽園に戻ってきてほしいと願っています。

聖書を読むと、神がどれほど一人ひとりを愛しているかがわかります。神は、人間一人ひとりを救うために、イエスキリストという、愛する我が子の命を、十字架刑にかけたのです。

また聖書には、人生においての困難や、悩みに対しての、助けになる導きがたくさん書かれています。神は、私たち一人ひとりが直面している、またこれから起きてくるかもしれない、困難をすべてご存知で、そのための対処方法を聖書を通して教えてくれます。人生の道しるべとして、知恵を与えてくれる本なのです。全ての人になくてはならない書物ですが、神の霊によって書かれた聖書は、人間の力で理解するのが難しい本でもあります。

この聖書を理解するためには、神の助けが必要です。教会の礼拝では、神から聖書を理解する力が与えられた聖職者が、聖書を詳しく説明しています。礼拝に参加するなら、解決方法が見つかり、必ず人生は良い方向に進むはずです。

イースターエッグとウサギ

イースターというと、可愛いウサギと、カラフルなゆで卵がモチーフとなって、人々を楽しませてくれますね。見ていると、体の中から何かが芽吹いてくるような、わくわくした気持ちになります。

ご存知の方も多いと思いますが、卵は新しい命の誕生を現しています。卵の中から新しい生命が、殻を破って誕生してくることから、イエスキリストが死という殻を打ち破って、新しい命としてよみがえることを現しています。

また、ウサギは繁殖力と生命力が強く、多産であることから、イエスキリストのよみがえりの力強さと、すべての人々に命を与える力を現しています。暖かくなった春に、ウサギが生き生きと飛び回る姿も、イメージにぴったりですね。

教会の中には、エッグハントと言って、カラフルなゆで卵を探す、楽しいゲームを行っているところもあります。春は気持ちが軽くなって、外出するのが楽しい季節です。ぜひイエスキリストを信じている教会に足を向けてみてください。

ここまで読んでくださってありがとうございます。また次の記事でご一緒できることを楽しみにしています。皆さんに、神の守りと祝福があることをお祈りしています。

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