聖戦
前回は、誤って誰かの命を奪ってしまった者を神が守り、生き延びるようにしてくださる恵みを学びました。同じように、キリストは罪ある私たち一人ひとりをかくまって守って下さるお方です。キリストを信じた者は、キリストの十字架の死によって罪許され、永遠に守っていただけるのです。

今回は、神がイスラエルの人々に、「聖戦」という神の戦いを命じるところを学びたいと思います。
愛と平和の神がなぜ戦争を命じるのかと不思議に思えますが、完全な神の祝福を受けるためには、神に背く罪は取り除かなければなりません。神は、神に背き罪を犯し続けるカナンの土地の人々を滅ぼし、イスラエルの人々にカナンの土地を祝福として与えられます。
神は怒るのに遅い方ですが、罪を悔い改めなければ裁きを招いてしまいます。神に罪を犯すことがどれほど罪深いことであるか、また神に守られることがどれほどの恵みなのかを、学ぶことができる箇所です。
今日のお供は、タリーズ&ティーのチャイティーラテです。美味しいものと一緒に、神の言葉を受け取っていきたいと思います。
勝利の秘訣
これからイスラエルの人々は、神が与える豊かな土地カナンを攻め取とるために、土地の人々と戦わなければなりません。人々は戦いの経験が少ない一方で、カナンの人々は彼らよりも体が大きく、戦いに慣れています。
神は、この戦いにおいて人々が怖がり弱気にならないように、モーセを通して励まします。神ご自身が人々とともにいて勝利を与えると約束され、恐れずに戦うように命じます。

自分たちの経験不足や、武器や軍事力が劣っていることに目を向けるのではなく、神に目を向けるように言われます。人々は神を信頼して、戦いに挑まなければなりません。
そのため神は祭司たちに、人々を鼓舞し励ますことを命じます。祭司たちは戦いの間においても、神の働きに専念する特別な任務があります。兵士とともに戦場で戦うのではなく、神の励ましの言葉を伝え、人々を力づける役割を担います。
人々は、祭司が神の言葉を取り次いでいる姿を見ることによって、神がともにいて助けてくださることを確信しすることができます。見えない神を信頼することは困難な時には難しいものですが、祭司の励ましは人々に神を信じる力を与えてくれます。
徴兵免除の条件
次に、神が命じる徴兵の条件を見てみたいと思います。神は役人たちに、戦場で戦う者と、そうではない者とに分けるように命じます。若い成人男性であっても、戦場ではなく、日常生活の中に使命を持つ人々がいます。
最初に神は、「新しい家を建てて、まだ奉献式をすませていない者はないか。その人は家に帰りなさい。」と命じます。奉献式を済ませていないということは、家を建てた後、まだ新築の家に移り住んでいない者のことです。

イスラエルの人々は、家を新築した時は神に奉献式を行ってから住む習わしがありました。新築の恵みに対して感謝し、神に捧げる儀式を行い、祝宴を催してから新しい家で生活をスタートさせます。
このように、自分の家を建て上げる時期にある者は、それが神の使命であり家庭に専念することが命じられます。
二つ目は、「ぶどう畑を造り、まだ最初の収穫をしていない者はないか。その人は家にかえりなさい。」です。ぶどう畑を含め、その地の産物であるオリーブやイチジクなどを含めた、農業の全体の収穫について命じています。農業を始めた者が、作物を実らせ収穫するまで徴兵が免除されます。作物の成長と収穫までの期間を考えると、最低でも4~5年は免除されると思われます。
三つめは、「婚約しただけで、まだ結婚していない者はいないか。その人は家に帰りなさい。」です。神は、新妻をめとった男性に、兵役にもどんな公務を課してはならないと命じています。1年間は自分の家のためにすべてが免除され、夫は妻を喜ばせなければならないと命じます。
約束を守る神
神は、それぞれの家庭を大切に扱ってくださいます。神は一人ひとりに家庭という祝福を与え、また子孫が増え広がり、幸せに暮らすことを願っています。神は、人々が神に従い家庭を作り、子供たちを健全に育てることを命じています。

同じように神は、農業を繁栄させ、豊かに実った作物を人々に与えることも計画されています。
農業が順調に進むまで、農夫には仕事に専念するように命じます。豊作によってイスラエル全体の経済が祝福され、人々の食卓が潤い、健康が守られます。
神は、カナンの土地の人々との戦いの間にあっても、人々の祝福と、神の計画を中断されることはありません。神は、アブラハム、イサク、ヤコブに誓った、人々が増え広がるという祝福の約束を忘れるお方ではありません。神の命じることは、どれも神がイスラエルの人々に約束した、祝福の実現につながるものです。
士気を高める
四つ目は、「恐れて心ひるんでいる者はいないか。その人は家に帰りなさい。」です。神は、神がともにいるのだから恐れずに戦うことを命じています。それでも恐れてしまう人がいることを神はご存知で、このように命じます。神に信頼できない不信仰の罪は、また他の兵士たちに影響し、軍全体の士気を落としてしまいます。

神が祭司を通して兵士に語る言葉は、「イスラエルよ、聞け。あなたたちは、今日、敵との戦いに挑む。心ひるむな。恐れるな。慌てるな。彼らの前にうろたえるな。あなたたちの神、主が共に進み、敵と戦って勝利を賜るからである。」です。
神は、イスラエルの勝利を、彼らの祖父母の世代からすでに約束されています。人々は、神を信じ従っていれば40年前にカナンの土地を手にしていました。人々がカナンの土地の人々を恐れ、神への不信仰の罪を犯したために、約束の土地を手にするのに時間がかかりました。
神が語られたことは必ず実現しますが、人が神を信頼しなければ、時間がかかることもあります。神は不信仰な者を訓練するために、遠回りさせられることもあります。神への信頼が祝福への近道です。不信仰の罪を悔い改めることを神は望んでいます。
カナン以外の町
神は、カナンの土地の人々と勇敢に戦うことを命じた後、カナン以外の町の人々と戦い方について語られます。カナンの人々を滅ぼすことを命じる一方で、他の町の人々にはまず、降伏を勧告することを命じます。

町の人々が、降伏に従わず戦いを挑むときに、イスラエルの人々は応戦することが命じられます。その町の男性を剣の刃で打つことと、残された女性や子供たち、家畜や町の品々はイスラエルの物にすることが許されます。
神は、一人でも多くの者が神を知り、学び、神に立ちかえることを望んでいます。町の人々が降伏の呼びかけに従うならば、男性をはじめ全ての町の人が、イスラエルの人々と共に神を学び祝福を受けることができます。
降伏しなかったために、残念にも戦う男性が滅ぼされたとしても、残された女性や子供たちは神を学び、子孫たちは神に従う民族として仲間に加えられていきます。
実のなる木
神がカナンの土地の人々に酌量を与えずに滅びの対象としたのは、彼らの罪がそれほどに積み上がっていたためです。カナンの人々が生き延びてしまえば、彼の偶像礼拝の罪がイスラエルの人々や、他の民族に広がり、また彼らの子孫に罪が受け継がれてしまいます。彼らの罪の拡大を防ぐために、神はカナンの土地の人々を滅ぼすように命じます。

続いて神は、戦いが長引き町を包囲する際には、その土地を廃墟にはせず、実のなる木は食糧用として残しておくように命じます。反対に実のならない木は切り倒し、その場を戦いのための拠点として活用するように命じます。
実のならない木を切り倒すというのは、聖書の中に何度か出てくるのですが、実際に食糧として役に立たない譬えをとおして、私たち一人ひとりに対する信仰を表現しています。
実を結ぶ木というのは、イエスキリストを信じる者を現しています。キリストを信じる者は、神にために役に立つ者として守られ生き延びることができます。キリストを救い主として受け入れない者は、実を結ばない木として切り倒されると、厳しく戒められています。
罪を除く祝福
神は、神に立ちかえらない罪ある民族を、木を切り倒すように滅ぼし、イスラエルの人々に神の平和を与えます。神の祝福は、神を信じ従い、神の国を作り上げるところに現れます。そのためには、神に背く悪は滅ぼさなければなりません。

神は決して戦いや争いを喜ばれる方ではありませんが、人々の祝福の妨げとなる悪を、完全に断ち切るように命じます。
カナンの土地の人々を完全に滅ぼし尽くすことを通して、神は私たち一人ひとりに、自分の中にある罪や悪を完全に除き去ることを教えています。
私たち一人ひとりも、神の祝福を得るためには、自分の罪と戦い打ち勝つことが求められます。人生に起きる困難や戦いは、神が一人ひとりの罪を取り除くために用意されたものであることが多いのです。
自分の罪やけがれを神に悔い改める時、神はカナンの土地のような素晴らしい祝福を与えてくださいます。
キリストが命
人は、神に教えていただかなければ自分の罪を自覚することができません。神の言葉である聖書は、人間が持つ罪を教えてくれます。聖書を通して自分の罪が分かったら、同時に人間の力では罪を取り除くことができないことも学びます。

罪を持ったままでは神のもとに戻ることはできず、罪の報酬である死、滅びに至ります。この絶望から救ってくださるのが、イエスキリストです。キリストは、私たち一人ひとりの罪のために十字架で死なれ、甦られました。
聖書には、「斧がすでに木の根もとに置かれている。だから、良い実を結ばない木はことごとく切られて、火の中に投げ込まれるのだ。」と書かれています。
罪の贖いをしてくださったイエスキリストを信じる者は、良い実を結ぶ木として、永遠の命が与えられ、神の国に入ることができます。キリストによる罪の贖いを受け取らなければ、実を結ばない木として、切り倒されて火の中に投げ込まれてしまいます。
神の国に入る備え

神は、全ての人間を、愛を持って造られました。神は全ての人に、良い実を結ぶ木となって、永遠の命を手にしてほしいと思っています。
誰一人として、火に投げ込まれることがないようにと、イエスキリストを送ってくださった神は、全ての人が神のもとに立ちかえることを願っています。
聖書には、私たちの足元にすでに斧が置かれていると書かれています。ですから、いつ神が来られてもいいように、キリストを信じて備えをしなければなりません。
神は、私たち一人ひとり全ての人が、神のもとに戻ってくることを、いつも待ち望んでいます。ともに神の赦しと、神の国を手にしていただきたいと思います。

ここまで読んでくださってありがとうございます。また次の記事でご一緒できることを楽しみにしています。皆さんに、神の守りと祝福があることをお祈りしています。

