民数記②モーセの罪メリバ

神を信頼する

前回は、民数記の前半にある、カナンの偵察の部分を中心にまとめました。神の与えると約束された土地は、家畜や作物が豊かに育つ良い土地でしたが、大半がその地に住む人々を恐れてしまい、絶望しエジプトに帰ろうと言い出します。

ですが、神を信頼するカレブとヨシュアは、すばらしい土地を見て喜び、是非攻め上ろうと励まします。神はこの心を喜び、2人は約束通りカナンの地に入ると言われるのですが、神の奇跡を体験しながらも、神を信頼せずに神とリーダーたちに背いた人々は、裁かれてしましました。

絶望的な状態になると、人は簡単に神から目を離してしまうことがあります。聖書はイスラエルの人々の罪を通して、どんな時も神を信頼し祝福を逃さないようにと導いてくれます。今回は、民数記の中間部分をまとめたいと思います。ともに神の愛と祝福を受けていきたいと思います。

今日のお供は、卵サンドとアイスコーヒーです。神に祈ると、その日の体調や活動量に合った、食べ物やスイーツが与えられると感じています。美味しいだけでなく、食事のバランスや量がぴったりで、最近は肌荒れも無くなりました。

自我を抑えて神に祈り従うと、満足した結果につながります。共に聖書を学び、神の祝福を探してみたいと思います。

メリバの水

イスラエルの人々は旅を続け、ツィンという荒野、カデシュという場所に滞在します。カデシュではモーセの姉ミリアムが亡くなりました。エジプトから脱出してからどんどん時が流れ、世代が変わっていきます。ここに到着する途中、神を信用せずに神とモーセに背いた者たちも亡くなっていきました。新しい世代も、神を信頼し従うことを学ぶ必要があります。

人々が滞在していたカデシュには飲み水がなかったため、古い世代と同様に、モーセとアロンに逆らって抗議する人々が出てきました。彼らは、神を信頼せずに背いた人々の裁きを見たり聞いたりしているはずなのですが、自分の命にかかわるとなると、我を忘れて取り乱してしまいます。モーセとアロンに、我々を苦しめるためにエジプトから連れ出したのかと、騒ぎ立てます。

モーセとアロンは、神のもとに行き祈ります。神はモーセに、人々の前で岩に向かって「水を出せ。」と命じなさいと言われます。モーセが命じれば神が岩から水を出してくださいます。

モーセは人々を岩の前に集めると、岩に命じるという神の命令に反して、杖で2回も打ってしまいます。

岩を打って水を出すというのは、これは以前に水がないと人々が不満を言ったときに、神が命じた方法でした。しかも打つのは1回でよかったのです。今回の神の命令は岩に命じることですが、モーセは感情を抑えられなかったようです。「反逆する者らよ、聞け。この岩からあなたたちのために水をださねばならないのか。」と言いながら、岩を打ってしまうのです。人々の度重なる不平と不満に、謙遜なモーセも忍耐できなかったのかもしれません。

岩から水が流れあふれ、人々も家畜も水をのむことができたのですが、神はモーセの罪を指摘します。「あなたたちはわたしを信じることをせず、イスラエルの人々の前に、わたしの聖なることを示さなかった。それゆえ、あなたたちはこの会衆を、わたしが彼らに与える土地に導き入れることはできない。」と宣言されます。

導くのは神

神がモーセに人々を導くリーダーとして求めていたのことは、神に背く人々の罪をモーセが裁くのではなく、モーセ自身も同じ罪を犯しうる罪人であることを自覚し、神に人々の罪の赦しを求める姿です。自分自身も人々と何ら変わらない罪人だと自覚し、神の命じることに従い、ただ岩に「水を出せ。」と命じ、神の御業を現すことが神の聖さを示すことでした。モーセは偉大なリーダーでしたが、人間が神の前に完璧になることはできませんでした。

そしてこの場所は、イスラエルの人々が神と争ったところ、メリバ(争い)の水と呼ばれ、神に背いた人々の罪と神の聖さを現す教訓の場所となります。

神に従ってここまでイスラエルの人々を導いてきたモーセと兄アロンですが、約束の土地カナンには入ることはありませんでした。2人の今までの苦労を思うと厳しい裁きのように感じられますが、神の聖さは完全であり、ひとつも変えることはできません。モーセと兄アロンはカナンの土地には入れませんでしたが、天命を全うした後は、全てに勝る神の国に入ることができます。神の国以上のものはありません。

また、イスラエルの人々を約束の土地に導くのは人間ではなく、神だけなのだということも教えています。人は目に見える者や人に頼ってしまいがちです。現代社会では人脈が重視されます。ですが、本当に導いてくださるのは神だけです。神が人を通して導いていることを心にとめておきたいと思います。

荒野の旅

イスラエルの人がカデシュから旅立つ際、エドムという国の土地を通過しようとします。そのため王の許可を取ろうと、役務に就いたものが王のもとに出向きます。彼らがエドムの国を通過する際は、畑の作物を荒らすこともせず、井戸の水も飲まずに、ただ通過するだけですと申し出るのですが、エドムの王は応じようとしませんでした。イスラエルの人々が丁重にお願いするのですが、エドムの王はかえって軍隊を率いる準備をします。イスラエルの人々はあきらめて、遠回りをしなければなりませんでした。

約束の土地カナンは実はそれほど遠くはなく、エジプトからカナンまでの直線距離は300㎞ほどで、100万人を超える人々が、女性や子供と家畜を連れて、また可動式のテント幕屋を移動させることを考慮しても、2~3か月では到着すると考えられます。ですが、前回まとめたところですが、カナンの土地の強そうな人々を恐れて、神を信頼せずに背いた人々の罪のために、彼らはなんども迂回されられ、40年荒野を旅することになります。

イスラエルの民にも裁きがあるのですが、神の選ばれたイスラエルの人々に対して敵対するエドム人にも裁きがあります。ずっと後ではありますが、彼らは神に滅ぼされる運命にあります。神がアブラハムを通して誓われた約束「あなたを祝福する人をわたしは祝福し、あなたを呪う者をわたしは呪う。」の通りです。

神を信頼すること、神に従うこと、神が愛するものを愛することが祝福につながります。神の命令に完璧になれる人はいませんが、神を求めて従う心を、神は認めてくださいます。

時代が変わり始める

イスラエルの人々が迂回し、エドムの国境にあるホル山に到着すると、神はモーセとアロンに、アロンが天命を全うすることを伝えます。

神はモーセとアロンに、アロンの息子エルアザルを連れてホル山に登り、アロンの祭司の衣装を息子に着せるように命じられます。

彼らは神に従い山に登ると、モーセはアロンから衣装を取り、エルアザルに着せます。アロンはその山で息を引き取ります。モーセとエルアザルが山から下りると、イスラエルの人々は30日の間、アロンの死を悼みました。

時代は変わっていきますが、神のご計画、約束、祝福は続いていきます。アロンの息子エルアザルは、アロンの祭司職を引き継ぎ、神のための働きを担っていきます。

神を見上げる

イスラエルの人々が、ホル山を旅立ち移動を続けていると、彼らは神が与えるマナに対して不満を訴え始めました。モーセに向かって、パンも水もなく粗末なマナだけでは気力が失せる、荒野で死なせるためにエジプトから連れ出したのかと、不満をぶつけます。

神を信頼せず、与えられた物に不満を漏らす人々に対して、神は裁きとなる炎の蛇を送ります。蛇が人々をかんだので、たくさんの人が命を落とします。それを見た人々は慌ててモーセのもとに来て、助けを求めます。

モーセが人々のために祈ると、神はモーセに青銅で蛇を造らせ、旗竿の先に掲げさせます。そしてモーセを通して人々に、その旗竿の蛇を見上げるように命じます。人々が神が命じた通りに見上げると命が救われました。

困難や問題に直面すると、人はその苦しみばかりに目が向いてしまいます。ですが神は困難や問題ではなく、神を見上げなさいと言われます。罪を悔い改めて神を見上げるなら、神は赦してくださり、問題を取り除いてくださいます。

蛇の裁きは、神の与えたマナを軽んじ、神を信頼しない罪からの裁きです。罪を悔い改めて神を見上げたとき罪が赦されました。私たちも罪を悔い改めて、私たちの罪のために十字架刑にかかってくださったイエスキリストを見上げるなら、赦されて永遠の命を受けることができます。イエスキリストは、私たちに命を与えてくださるお方です。

人々が旅を続けて移動しすると、井戸に到着します。神はモーセに、「民を集めよ、彼らに水を与えよう。」と言われます。人々は神の恵みを喜び、感謝の歌を捧げます。罪を悔い改めたものを、神は祝福してくださいます。

祝福を受け取る

神は、命に直接かかわる水や食べ物を通して、イスラエルの人々を訓練されます。水や食べ物が不足してくると、人々は不安になり神を忘れてしまいますが、彼らはアブラハムから約束されている祝福を信じなければなりません。

「わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。」

神はアブラハムに語ったこの約束を、必ず守ってくださるお方です。イスラエルの人々は祝福され、またその祝福は、イエスキリストを信じるすべての者に流れていきます。

人間ならだれでも不満が出てくることがあると思います。ですが、イスラエルの人々が不満をぶつけて罪を犯したために、荒野を40年も旅をすることになり、約束の土地が遠くなっています。辛い時、苦しい時こそ、不満ではなく神を信頼し祈り求めたいと思います。神を信じる者を、神は必ず祝福してくださいます。共に神の祝福に与る者になっていただきたいと思います。

ここまで読んでくださってありがとうございます。また次の記事でご一緒できることを楽しみにしています。皆さんに、神の守りと祝福があることをお祈りしています。

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